[瑠璃でもなく、玻璃でもなく] 唯川恵
「でもふたりで消えたりしたら、後でみんなに抜け駆けしたって言われる」
「いいさ、そんなの無視しておけば。これは合コンだよ。いい相手が見つかれば当然、別行動になる。それが自然の摂理というものだろ」
かれの無防備な笑顔を見ていると、それも悪くないかもしれない、と、思い始めていた。こんなふうに誘われるなんて久しぶりだ。だいたい最近こういうことから遠ざかり過ぎていた。彼は感じもいい。会話も面白い。ふたりで飲みに行くぐらいどうということはない。二十六歳、もう十分に大人だ。出会ったばかりの男と、気軽にお喋りを楽しむ夜があってもいいはずだ。
その時、バッグの中でメール着信の音が鳴り出した。
「ちょっとごめんね」
美月は洗面所に行くふりをして席を立った。ドアの前で携帯を取り出し、メールを開く。
<残業が早めに終わったんだけど、今から会える?>
と、出ていた。弾んだ思いで美月はすぐに電話を返した。
「うん、大丈夫。いつものバーでいい? 三十分ほどで行けると思う」
「わかった待ってるよ」
それから急いた気持ちで席に戻り、彼に告げた。
「ごめんなさい、急に家に帰らなくちゃならなくなったの」
彼はおどけたように肩をすくめた。
「見え透いた嘘だなぁ」
「本当よ、私も凄く残念だけど」
言いながら、三月は変える準備を整え、席を立った。気持ちはもうすっかり約束の場所へと飛んでいた。
「あら、美月、帰るの」
順子には「ごめん」と顔の前で片手を立てて謝り、店の前に出てすぐにタクシーを止めた。
「外苑前」と告げて、シートに身を沈める。道は思ったより空いていて、タクシーは初夏の街中を軽快に飛ばしてよく。それでも美月の心ははやる。
早く、早く。もっと速く。
バーには二十分で到着した。ドアを開けると、通い成れた店の匂いが溢れてきて、それだけで酔ってしまいそうになった。カウンターに愛おしい背中が見える。すぐにスツールが半回転して、その身体が美月に向けられた。
「早かったね」
森津朔也がわずかに口元を緩めた。
「いい人がいるなら、家に連れてらっしゃいよ」
母の言葉に、美月は返事に詰まりながら、適当にはぐらかした。
「いたらね」
「あなたもういい年なんだから、そろそろそういうことも考えなくちゃ。お父さんも心配してるのよ」
「はいはい、じゃあ行って来ます」
「夕飯は?」
「いらない」
外に出て、美月は一つため息をついた。朔也のことは、いずれ両親にも紹介する時がくる。けれど、それは離婚が成立してから。もし今、美月が妻子ある男と付き合っていると知れたら、頭が固い両親は激怒するだろう。そんな不道徳は許せないと、端から反対するに決まっている。
だからこそ慎重にことを運ばなければならない。
そんなことを考えながらも、駅に向かう足取りは、自分でも笑ってしまうくらい弾んでいた。
朔也はきっとまだ寝ているだろう。アパートに着いたら、すぐにコーヒーを淹れてあげよう。朝食は生ハムとクルームチーズのオーブンサンド、それにヨーグルト。それを窓の下を流れる川を眺めながら食べる。そして日がな一日、身体をくっつけ合って、のんびり過ごすのだ。
もうお洒落なレストランも、ロマンチックなホテルもいらない。こうして週末、朝から晩まで朔也と一緒にいられるのだから。
□今日の読書 ★★★★★ 著者:唯川恵
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