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2009年2月 9日 (月)

[空の香りを愛するように (幻冬舎文庫)] 桜井 亜美

「君に頼みがあるんだ」
「どういうこと?」
 彼は眼を閉じてゆっくりと頭を仰け反らせ、煙を空に向かって吐き出す。薄青色の煙は大きな輪を描いて観覧車のイルミネーションが映る空に立ち上がっていった。
「ぼくの名前はミツル。君のことはずっと前から知ってた」
 あたしは眉根を寄せて彼の横顔を見つめる。いつか遭ったことがあったろうか?
 だが、高速で捲られていく記憶のインデックスに彼の顔は見当たらない。

「ごめん、あたしは覚えてない」
「君はぼくをしらないけど、ぼくは君を知ってる。ぼくたちは仲間だと思う。コウ繋がりの」
 ようやく納得がいった。彼はコウの友人なのだ。きっと写真か何かであたしを知っていたのだろう。
「あまり時間がないから、用件を言う」
 あたしは無言で彼が煙を吐き終えるのを待つ。それは煙が空に届くまでの、長い長い時間に思えた。
「鳥の影から逃げないで。逃げたら、一番大切なものを失うから。その眼で鳥の影の招待を見ることができれば、影は消える」
「鳥・・影・・?」
「世界の暗黒面を支配していて、人々の不安を食う魔物の影。姿を見せず、その雲に映る影だけで恐怖を生み出し人間を支配する。ぼくも君に手を貸すよ。でもコウにはぼくのことを秘密にして」
「待って。意味がよく分からない」

 彼は答えもせずすばやく立ち上がって、手を振りながら「また会おう」と言った。
 追いかける暇もなく、その華奢な彼の後姿はレストランの物置に隠れて消えていた。
 でも淡い満月から零れた光のような、銀色のほのかな粒子が、まだ大気中に残っているような気がする。異次元の小さな亀裂から抜け出してきた使者のように、実体のない男の子だった。

 鳥の影から逃げないで。逃げたら、一番大切なものを失う。
 あたしにとって、一番大切なのはもう決まっている。
 ぼんやりと立ち竦んだまま、あたしはミツルの言葉の意味を考え続けていた。

□今日の読書 ★★★☆☆

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