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2009年1月

2009年1月31日 (土)

「ゴーン道場 (朝日新書)」 カルロス・ゴーン

[部下のモチベーションを上げるための基本条件]
1.共感能力を磨く
2.コミュニケーションをとり、周りの状況を理解させる。
3.「あなたは重要だよ」と認める。
4.結果に公正な評価を与える。
5.組織の将来について、明確なビジョンを打ち出す。

[女性の部下の心を開くには]
 上司は常に自分から歩み寄るべきです。執務室で待ってるのは古いタイプのボスです。上司と部下はコーチと選手のようなもの。常に部下を観察し、うまくいっていないときは「相談に乗ろうか」と声をかける。上司がイニシアティブを取るんです。

[会社とクライアントの板ばさみになったら]
 裁量権を持たない営業マンがクライアントから難しい要求をされ、対応策を自分では決定できない場合、どう対処すればいいでしょう?

 まずお客様の要求がどのようなもなのか、それを把握しなければなりません。何か具体的なことを要求しているのなら、その裏にある本当のニーズを把握して十分納得したうえで、お客様の言っていることは実現可能なのか、どのように努力すれば可能なのかを判断するんです。まったく実現不可能であれば、率直に言うしかありません。あいにくどうしようもありませんと。

[中間管理職が、上司も部下もうまくコントロールするには]
 中間管理職の役割は単に上からのメッセージを下に伝えることではありません。ただ伝えるだけなら録音機があれば済みますよ。間に立つことでそのメッセージを豊かにする。それが、彼らが生み出す付加価値です。

-メッセージを豊かにするとは?

 例えば、上司から指示を受けたら、それをチーム全体の業績につなげるために、なぜその指示が出たのか、どうやって実行するかを、個人が理解できるカタチでかみ砕いて説明するのです。上司の言うことがわからなければ、その場で問い正さないといけません。中間管理職はしばしば、これができずにコミュニケーションの大きな弱点になっています。 というのも、現場には意欲があり、HOW(どうすればよいか)を知りたがっています。彼らをサポートしながら、上からの指示を実行計画に落とし、期待される成果を出す。大事なのは最終的に実行に移せるかどうかですからね。

[革新的で創造的なものづくりができる環境を作るには、第一に目的を共有することが大事です]

 目的は、明快でワクワクするものでなければならない。また、研究者や開発者にとって、プロジェクトに関わることが世の中や会社、チーム、自分自身にも違いを生み出す機会であることが必要。明快な目的と変革の機会。この二つが満たされれば、モチベーションはぐっと上がる。

「日産リバイバルプランを成功させるためには、どれだけの多くの努力や犠牲、痛みが必要となるか、私にも痛いほどわかっています。でも信じてください。ほかに選択肢はありません。そしてこの計画は挑戦するに十分な価値があるのです。

[嫁姑関係を良好にするには?]
 嫁と姑は非常にデリケートな問題ですね。私も経験があります。妻からみると、お姑さんは口を挟みすぎる。姑は、妻がきちんとやっていないと思う。夫は母親を愛していますから、妻が姑を批判するとイライラする。ここでもコツは教育と同じ。ほめるのと厳しくすることのバランスです。まずはプラスから入るのです。

 ほめる?

 夫に言うのです。「お義母は素晴らしいわ。頭もいいし、あなたのことをすごく愛しているのよね」と持ち上げつつ、「でも、ちょっと口を挟みすぐるのよ」と。そのとき、「私にも責任はあるんだけど」とフォローも忘れずに。母親の悪口や批判だけでは、夫は絶対に聞いてくれません。

□今日の読書 ★★★★☆

ゴーン道場 (朝日新書) Book ゴーン道場 (朝日新書)

著者:カルロス・ゴーン
販売元:朝日新聞出版
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2009年1月27日 (火)

[苔の話―小さな植物の知られざる生態] 秋山 弘之

[信じがたいコケ屋の存在]
 「コナカブリテングタケ、レアもんですよ。かっこえー、かっこえー、これはレアだ」 ちょっと珍しいキノコを前にアルヤマさんが思わず生き物屋的な反応を見せていた。

 マルヤマさんの縄張りである、奈良に遊びに行くことにした。人付き合いの広いマルヤマさんのこと、せっかくだからと、知り合いの生き物屋に声をかけてくれた。おかげで、キノコ屋のみならず、虫屋、ヘビ屋・・とフィールドを行く一行は二十名以上にふくれあがる(いくら何でも声のかけすぎ・・・)これだけの人数、しかも集まったのが生き物とあって、行動にまるで統一性がない。一方で珍しいキノコが見つかったと言って喜んでいるかと思えば、片方では朽木の中からオオゴキブリが出て来たと言って、声をあげている。そんな集団の中に、一人、とりわけ僕の目を引く生き物屋がいた。腰に大工さんが使う道具入れのようなキャンバス地の袋をさげている。その袋の中には、何枚もの紙包みが入っている。ほかには水の入ったスプレービンと、お好み焼きのこてのようなガムはがし(駅などで、床に張り付いているガムをこそげ落とすのに使っているやつ)などが入っている。彼は、時々立ち止まっては、地面から何者かをむしり取り、それをルーペでじっと長めていた。それは、僕がはじめて野外でみる「コケ屋」の姿だった。

 虫屋や貝屋は何となくわかるとして、コケ屋という病の存在はご存知だろうか。

[ストーカーになってみた]
 「コケって、どうやって見たら種類がわかるんですか」
 かつて一度だけ、コケに詳しい人に聞いたことがあった。野外ではなく室内でのことだった。それも宴席での立ち話。ちょっと声をかけてみた、という程度のものだ。

 コケにも種類がある。それくらいのことは、さすがに僕も知ってはいた。コケの種類を識別するのは、とてもむずかしそうだ。似たような姿のものが多いし、葉っぱも小さくて、特徴がみにくそうだし・・・

 「胞子体とかがついているときじゃないと駄目なんですか?」
 後述するが、季節になるとコケの葉の間から胞子体と呼ばれるものが、姿を現す。俗に「コケの花」とも呼ばれているものだ。そんなコケの花みたいなものがついているときなら、多少は種類の特徴が現れるのかもしれない、そう、思ったのだ。

 コケは生き物屋の僕にとっても、身体性を伴う関係が結びにくい相手だと思っていた。しかし、コケは「まずい」ものだ。しかも「とってもまずい」らしい。この手があったか、と思う。口にするというのは、もっとも原初的な生き物とのふれあいの手段である。
 こんな話を聞いてしまったら、コケを食べてみたいという気持ちになるではないか!

[コケ屋という病にかかる]
 「オオカサゴケが、とりわけまずい」
 キムラさんはより具体的な話しもしてくれた。オオカサゴケって、どんなコケ? どんなところに生えている、どんなコケなのかさっぱり知らないけれど、その名前だけは、僕の中にしっかりとインプットされた。

「コケはね、標本を入れておく紙包みのほうが虫に食われても、コケ自体は虫に食われないんです。植物標本には、普通、防虫剤が欠かせないでしょう。でも、コケの標本には防虫剤なんて必要ないんです」

「コケは下等植物と言われてしまうけれど、大昔に出現して、その後長い間、生き残ってきたということでしょう」
 コケの長い進化の歴史こそ、すなわちコケのまずさの証かもしれない、なんて話にもなる。
 コケって、すごいかもしれない、と思ってしまった。

 やや専門的になるかもしれないが、ここで生物学的なシダとコケの違いを紹介しておこう。秋山弘之氏の『苔の話』(中公新書)には、両者の違いについて、次のような点がる。あげられている。

コケ(蘚苔類)には水を地面から吸い上げるための根がない。
コケ(蘚苔類)は水や栄養を運ぶ維管束をもたない。
コケ(蘚苔類)は水分の蒸発を防ぐためのクチクラ層が発達していない。

一言で言うなら、コケはシダに比べて、体の作りがいまだ原始的な植物だということだ。コケとシダを間違える・・・病の初期症状の頃には、こんな初歩的な間違いもつきものだ。

 蘚類と苔類の違いは、胞子体にある。すなわち胞子がしっかりるのが蘚類で、胞子体が柔らかいのが苔類だった。ナンジャモンジャゴケの所属に議論が起こったのは、発見当時から長い間、ナンジャモンジャゴケの胞子体がみつからなかったからだ。

 キムラさんが死にかけたのは、ナンジャモンジャゴケの産地の一つ、ボルネオ、キナバル山でのことだった。
「キナバル山で、ナンジャモンジャゴケを、三人で探してたんです。あそこはスコールが多いでしょう。探している最中、スコールにあったんです。沢沿いでナンジャモンジャゴケを見つけて、うまいこと採れて、満足して、さあ帰ろう・・・と。その途中で沢を渡るんですが・・・」

 その沢は、普段は靴がぬれる程度にしか水量がない。しかし、スコールの後である。三人のうち、キムラさんともう一人が石を伝って対岸に跳び移ったそのとき、濁流が急に押し寄せてきた。沢はその先で、断崖を落ちる滝になっている。流されれば命はない。最後の一人はまだ、沢の途中の石の上だ。
 「僕ともう一人が肩を組んで、僕が手を伸ばして、最後の一人を引っ張り挙げました。一瞬の判断です。それをしなかったら、死んでたでしょう。もしあと三分、余計にコケを採っていたら、三人とも日本に帰れんかったでしょう。

□今日の読書 ★★★★★



苔の話―小さな植物の知られざる生態 (中公新書) Book 苔の話―小さな植物の知られざる生態 (中公新書)

著者:秋山 弘之
販売元:中央公論新社
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2009年1月25日 (日)

[数字でみるニッポンの医療]読売新聞医療情報部

[日本の医療費は高いのか]
① 平均寿命 23年連続世界一
 日本人の平均寿命は、男性79.19歳、女性85.99歳(2007年)となり、過去最高を更新し続けている。女性は23年連続世界一で、男性はアイスランド、香港に次いで3位だ。戦後間もない1947年には、男性が50.06歳、女性は53.96歳だったので、60年かんでおよそ30年も延びたわけだ。

②医療費 年間33兆1276億円
 医療費の国際比較の際によく用いられる指標としては、国民所得のかわりに、「国内総生産(GDP)に占める医療費の割合」がある。
 欧州各国など先進30カ国が加盟するOECD(経済協力開発機構)が、2007年7月に発表した「ヘルスデータ2007」から紹介する。全30カ国の平均は9.0%。トップはアメリカで15.3%と圧倒的に高く、以下スイス、フランス、ドイツ、と続き、日本は22番目だった。先進7カ国中では最下位だ。日本の医療費は決して高くない。むしろ安すぎるという主張の根拠はここにある。

④病院の実力格差 死亡率約2倍
 心臓の冠動脈バイパス手術について、実施件数が少ない医療機関の死亡率は、件数の多い医療機関に比べて約2倍も高い--
 日本胸部外科学会が2006年、全国の約21万件の手術データを解析したところ、こんな実態が浮かび上がった。これほど大規模なデータを基に、心臓外科手術の件数による成績格差が明らかにされたのは、初めてのことだ。

⑤医療事故死 年間2万6000人
 「医療事故」で死亡する入院患者は年間約2万6000人。国立保健医療科学院の長谷川敏彦・政策科学部長(当時)が2002年、初めてはじき出した医療事故被害の推計値だ。交通事故死の3倍を超える。

⑥命の値段、47歳で6106万円
 Aさんは47歳のサラリーマン。年収は700万円。平均的な労働者の収入に近い。医が痛むので近くの病院に入院したところ、手術はうまくいったが、その後の点検ミスが原因でなくなってしまった。Aさんの妻は損害賠償を求める民事訴訟を起こすことにした。依頼を受けた弁護士は、こんな数字を妻に示した。
 700万円×(1-0.3)×12・462 = 6106万3800円
 これがAさんの命の値段(遺失利益)である。

⑦救急患者 5割は軽症
 救急車で搬送されたり、夜間、休日など診療時間外に医療機関を受診したりする救急患者は、全国で1日6万5千人にのぼる。うち推定で焼く7500人が入院している。救急搬送された患者は、1995年に316万人だったが、2005年には496万人に増加した。このうち65歳以上の高齢者は95年の約100万人から05年には約220万人増え、高齢化が救急患者の増加の要因になっていることがわかる。

 総務省消防庁の調査では、救急搬送された患者の約50%は軽症だという。救急車を病院までのタクシー代わりに利用しようとする119番通報が全国各地で問題になっている。読売新聞社が全国の主要51都市の消防本部に実施したアンケートでは、「119番でかけつけると、入院用の荷物を持った女性が自ら乗り込んできた」「○月○日の○時に来て」と救急車を予約しようとする、救急車を呼びながら、実際はあらかじめ病院に診察の予約を入れていた。などのケースが報告された。風邪程度なのに、「救急車で行けば、早く診てもらえる」と思って119番する事例も確認されたという。

①75歳以上の新保険 月定額600円

「現代の姥捨て山か!」「年寄りは早く死ねということか!」
2008年4月から始まった新しい後期高齢者医療制度の評判がすこぶる悪い。
国の制度では65歳以上を「高齢者」とし、そのうち74歳までを「前期」高齢者、75歳以上を「後期」高齢者と呼んでいる。今回始まった新しい医療制度は、このうち75歳以上の「後期」高齢者を対象としたものだ。評判が悪いのは名前のせい? とばかりに、政府は急遽「長寿医療制度」と言い換えたものの、マスメディアもさすがにそんな行き当たりばったりの名称変更にはまともにつきあっておられず、カッコつきで後期高齢者医療制度(長寿医療制度)としたのがせいぜい。

 出だしからミソをつけてしまった新制度だが、とりあえず輪郭を説明すると・・・。
 75歳以上であれば全国民が加入する新しい公的医療保険で、これまでの老人保健医療の規模に準じて、年間給付費は08年度が10兆8000億円。そのうち税金が5割、健康保険組合からの支援金が4割、残り1割分は高齢者自身が負担する。

 まず、この高齢者のからの1割の拠出を巡って混乱がおきた。新制度では、収入によって差はあるとはいえ、75歳以上の全員が保険料を直接負担する。国の説明によると、総額は大きく変わらないが、人によって負担が減ったり人もいれば増えた人もいる。特に子供の扶養家族扱いになっていた人はそれまでゼロだったため新たな負担が生じた。
 年金からの天引きという強制的な徴収法であることも、騒動に輪をかけた。実は介護保険料も、従来から天引きされているのだが、昨今の「消えた年金」問題もあり、「年金の支払いはいい加減なくせに、保険料の徴収だけはしっかりやるのか」と、庶民感情を逆なでした。

 診療面での改革の柱とされたのが、患者が主治医を一人に決めて月600円(1割負担の場合)の定額制となる「後期高齢者診療科」だった。従来の診療は、診療や検査した分だけ治療費を徴収する出来高払いだが、この後期高齢者診療科には、簡単な検査などは定額料金に含まれる。専門医にかかる場合には、主治医からの紹介が必要となる。事実上の「かかりつけ医」制度となる。

②高齢者はどこへ? 老人病院38万床が半減へ
「社会的入院」「介護難民」といった言葉を、新聞などで見かける。治療の必要性がないのに入院している状態が「社会的入院」であり、病院を追い出されたのに老人保健施設などに入ることもできず十分な介護が受けられない人を、「介護難民」と呼ぶようだ。
 「医療費の無駄使い」と常に槍玉にあげられてきたのが、社会的入院だ。国は2006年度の医療制度改革で、38万床ある療養病床(いわゆる老人病院)を2012年までに15万床に大幅削減する計画をまとめた。老健施設や在宅介護への移行を図るというが、そんなにすんなりいくのだろうか?

③終末期医療 1ヶ月112万円

①がん生存率 前立腺だと99%
②がんサバイバー300万人、2015年には500万人
③がん対策の国家予算 年間534億円
④認知症患者 30年で倍増450万人
⑤出生率1.26の衝撃
⑥糖尿病患者 1870万人
⑦たばこによる損失、年間7兆3786億円
⑧自殺者3万人

 人口10万人当たりの自殺者数は、日本は24.0人、アメリカでは10.4人、イギリスは7.5人。日本より自殺死亡率が高いのは、ロシアやリトアニア、ベラルーシなど東欧諸国で、西側先進諸国では日本が最も高い。残念ながら、わが国は国際的にみても「自殺大国」と呼ばれて仕方がないのが現実だ。
⑨精神科入院ベッド数 35万床
 人口1万人当たりのベッド数を他の先進諸国と比べると、イタリアが1、アメリカが3、イギリスが7、韓国が8、フランスが10であるのに対し、日本はなんと28にのぼる。
⑩不妊カップル 今や7組に1組
⑪年々小さく生まれる赤ちゃん 女児は平均3kg切る。
⑫医師になるのにいくらかかるか 医学部初年度で1400万円
⑬検査大国 日本 世界のCTの3分の1が日本に。
⑭日本人は「薬好き」タミフル 世界の7割を日本で使用。
⑮抗生物質漬け MRSA比率71.6%(米国34.2%, 英国27.5%)
⑯新薬開発に1000億円
⑰抗がん剤 1回30万円
⑱後発医薬品 8割安


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著者:読売新聞医療情報部
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2009年1月22日 (木)

[進化するグーグル (青春新書INTELLIGENCE)] 林 信行

[世界で最も楽しい職場]

 ペイジは同社が学んだ6つの教訓について次のように語った。

1.何よりも製品が大事
 ペイジがまずあげたのは製品の重要性だった。実際、今日のグーグルがあるのは、そもそもの製品「インターネット検索」機能が、他社のサービスと比べて群を抜いて素晴らしかったからに他ならない。
 製品とは企業と顧客との接点であり、まずはこれをよくしなければならないというペイジの訴えにはうなずける。

2.まずはポテンシャルを試せ
 どんなすぐれた製品をつくっても、それが必ずしも市場に受け入れられるとは限らない。一度、製品を投入してしまうと責任も発生し、後からそれが失敗だとわかり引っ込めようと思ってもなかなかそうできない。
 ペイジは事業を本格的に始動させる前に、その製品が本当に市場で受け入れられるかを十分に試せとアドバイスする。

3.(ウィルスのように広げろ)マーケティングは不要
 3つめは製品さえよければ、過大な広告費やマーケティング費用をかける必要はない、という教訓だ。実際、グーグル者は、一切、広告を打つことなく大きくなった。

4.明快な目標の設定と焦点の絞り込み
 ただ単に、できるから、おもしろそうだからといってバラバラに事業をやっていても、会社としてのまとまりも出ないし、成功もできない。ペイジは明確な目標の設定と焦点の絞り込みこそが重要だと言う。
 グーグルが手がける数々の事業は、まとまりがないようにも見えるが、じつはこれまでたびたび紹介してきたミッション・ステートメントによってまとめられていることは、先に述べた通りだ。

5.人々の暮らしに影響を与えよ
 「誰も気にしてくれないようなサービスをつくってもおもしろくない。それよりは人々が情熱を感じられるサービスをつくったほうがいい。人々がそれまでやろうとしていてできなかったことをやれるようなサービスをつくるのが望ましい」

6.大きなマーケットに狙いを定める
 ペイジはこう言う。
 「自らターゲットとする市場を絞りこんでしまわずに可能性を広げるべきだ。そうすれば成功したときには、その報酬が何十倍にもなって跳ね返ってくるし、それほど成功していなくてもなんとかやっていける」
 グーグルも創業2年弱でスペイン語、フランス語、イタリア語など10種類のヨーロッパの言語に対応、その半年後には日本語、韓国語、中国語を含む15ヶ国語に対応。さらに半年後には26ヶ国語に対応している。

[グーグルが発見した10の真実]
1. ユーザに焦点を絞れば、「結果」は自然に付いてくる
2.一つのことを極めて本当にうまくやるのが一番
3.遅いより速い方がいい
4. ウェブでも民主主義は機能する。
5.情報を探したくなるのは机に座っているときだけではない。
6.悪事を働かなくても金儲けはできる。
7.世の中の情報量は絶えず増え続けている。
8.情報のニーズはすべての国境を越える。
9.スーツがなくても真剣に仕事はできる。
10.すばらし、では足りない。

[グーグル翻訳]
 従来のほとんどの翻訳ソフト/サービスは、特定言語を解析するプログラムと、解析した得た意味を特定言語として構築するプログラム、そして対訳の辞書といったもので構成されていた。
 つまり、プログラムが文章の内容の理解を試みた上で、それを辞書を引きながら別の言語で再構成するというステップだ。
 これに対してグーグル翻訳は、インターネット上の無尽蔵にあるWebページの中から、異なる言語で、同じ内容について記述しているWebページを索引化し、それを参照しながら対訳の例を見つけ出す。
 簡単に言うと、グーグル翻訳は、何か適当な文章を打ち込むと、インターネット上から似た文を他の言語に翻訳した事例を検索してきて、その事例で使われている訳語を表示してくれるというわけだ。
 この方法だと、他社の翻訳サービスが得意とする汎用的な文章の翻訳は苦手だが、一方で他社の翻訳サービスが苦手な専門用語や特殊な言い回しをもっとも的確な形で翻訳してくれることが多い。
 たとえば「Spirited Away」と入力して「千と千尋の神隠し」、「小泉ハ雲」と入力して「Lafcadio Hearn」と翻訳してくれるのはグーグル翻訳くらいだろう。

[ひとり勝ちの真の理由]
 大型データセンターの構築はどの企業も抱えている問題で、マイクロソフト社はロシアに、そしてサン・マイクロシステムズ社は鉱山跡地の地下に建築する予定だ。そしてグーグルは、なんと大型タンカーにコンピュータを詰め込んで、海岸から10kmほどの沖合に置こうと考えているようだ。電力は波力発電、風力発電、潮力発電で供給し、コンピューターの冷却には海水が利用される。(もしかしたら、固定資産税などの税制的にも有利かもしれない)
 もしかしたら、数年後には、パソコンというのは、ただの通信機能を備えただけのディスプレイに置き換わり、コンピュータ本体は、どこかの沖合に浮かぶタンカーのなか、という時代が来るのかもしれない。 

□今日の読書 ★★★★★

進化するグーグル (青春新書INTELLIGENCE) Book 進化するグーグル (青春新書INTELLIGENCE)

著者:林 信行
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2009年1月20日 (火)

[青山娼館] 小池 真理子

「おやじ、別に女好きだったわけじゃないんだと思う。ただ単に、そうやってめちゃくちゃをやっていたかっただけなんだよね。そのくせ、母の他に女がいなけりゃ、生きていけなくて・・・」
 うん、と私は言った。「わかるような気がする。お父さんにとっては、道具みたいなもんだったんだね、女の人が

「道具?」

「なんて言うのかな、自己愛? 自分しか愛せない人だったんじゃないの? お父さんにとって、女っていうのは、自分で自分を愛するために必要な、ただの道具でしかなかったんだよ。それが欠けたら、お父さんんが理想とする形は壊れちゃって、いびつなまんまに終わっちゃうから」

「ていうか、それを言うなら、女っていうのは、おやじにとってパズルのピースみたいなもんだったのかもね」と麻木子は言った。「家に連れ込む女がいて、初めて、おやじの人生のパズルが完成したんだ、きっと」

 エッセンシャルオイルのオレンジとシナモンの香りが鼻腔をくすぐった。私はその香りの向こう、ブドウ色の壁紙に囲まれた部屋の奥に、笑顔でこちらを向いているマダム・アナイスの姿をみとめた。

 あの瞬間は今も忘れることができない。どういうわけか、わたしはマダムの眼鏡の奥に光る美しい目を見た瞬間、救われた、と思ったのだ。まだ採用されるかどうかもわからないという時に、失うものが何もなくなったようなじぶの人生を最後に救ってくれるのは、ここにいるこの女であり、この場所以外、あり得ない、とわたしにはあらかじめわかっていたような気がする。

 私が中に入って行くと、マダムはにっこり微笑み、「お坐りになって」と言った。患者を診察室に迎えた女医のような、淡々とした落ち着いた口調だった。面接に来た女を値踏みしているような様子は見えなかった。

 私は口を開いた。「ひとつ、つまらないことを聞きます」
 「どうぞ」
 「素朴な疑問、と言ってもいいかもしれません。どうしてわたしが・・・ここで雇われることになったんですか」
 野崎は鳩のように目を丸くし、大仰な表情を作るなり、呆れてみせた。「不思議なことを質問されるのですね。マダムがあなたを採用したからですよ。それ以外、何の理由もないのだし、あなたもそれをご存じでしょう」
 
 ややあって彼は、ふうっ、と軽く息を吐いた。「コルティジャーナ、という言葉を聞いたことがありますか」
 「コルティジャーナ?」

 「昔、イタリアのヴェネツィアは快楽都市と呼ばれていました。そのヴェネツィアに実際に存在していた高級遊女がコルティジャーナです。彼女たちに求められたのは、教養と美しさと気品で、まさにあなたが今、口にしたことと似ているのですが、その場合の教養というのは、何も大学院を優秀な成績で卒業したとか、海外の著名な大学に留学経験があるとか、五ヶ国語が喋れるとか、そういったこととは無関係です。本当の教養というのは、それを感知する能力のある人間にしかわからい。

 「悲しいということっていうのは、案外簡単に乗り越えられるものよ。問題はね、そうではない感情と戦わなくてはならなくなった時」とマダムは言った。

□今日の読書 ★★★★☆

青山娼館 Book 青山娼館

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2009年1月18日 (日)

[官邸崩壊 安倍政権迷走の一年] 上杉 隆

[錯誤]

 当時多くの者が、中曽根は安部晋太郎を選ぶものだと信じていた。寸前まで疑わない政治記者もいた。中曽根が別の人物を選んだ時、その記者は何かの間違いだとさえ思ったほどだ。その後、この悲劇の政治家は他界する。
 中曽根の前に座っている安部は、二日前の参議院選挙で歴史的大敗を喫した52歳の若い首相である。自民党はこの選挙によって、結党以来初めて、参院第一会派の地位を失うとこになった。
 最悪の選挙結果について軽く触れた中曽根が、まず助言したことは人事であった。
 有能な人材を起用する。個性ある面白い人間を抜擢するのも一つの手だ。自らの信念に基づいて豪胆にやったらいい--。

 そして、現在の日本が国家的な危機に直面していることを語り、安部の先祖について言を及ぼす。
 困難な時ほど、政治家の本領は発揮されるものだ。あなたの祖父である岸信介元首相もそうだった。日米安保という重大な危機をまさしく命がけで突破した。その孫であるあなたにできないはずがないーー。

 ちょうど同じ頃、すぐ近くの自民党本部の建物では総務会が開かれていた。そこは安部に対する批判の嵐が吹き荒ぶ場でもあった。

 約1か月前、参院選を目前に控えた安部は党首討論の席上でこう述べる。
「今回の参院選は、実績と政策を支持してもらうための選挙です。私と小沢一郎さんのどちらが首相にふさわしいかということについて国民の考えを聞く選挙です」
 この直前、自民党は極秘の世論調査を行っていた。結果は惨憺たるものだった。あらゆる指標が自民党惨敗を指し示している。選挙区、比例区、都市部、農村部ーー。もはや民主党に太刀打ちできる術はない。そう思われた。だが、阿部官邸はそうしたデータの中に僅かな光明を見つけ出した。

 安部と、民主党代表の小沢の個人好感度を比較した場合のみ、「36%対16%」と支持の数字が逆転していたのだ。藁にもすがる思いで、安部鑑定はこのデータに飛びついた。つまり、小沢と安部の個人対比をさせるという戦況戦術を採用することに決めたのである。

 だが、皮肉なことにこれが仇となった。総務会ではこの点ばかりを追求される。口火を切ったのは元財務大臣の谷垣禎一だった。谷垣の、今回の選挙をしっかり統括するべきだ、という号令を元に、本官房長官の加藤紘一、元自治大臣の野田毅、元防衛庁長官の石渡茂ら閣僚経験者が続く。批判は激しさを極めた。誰もが安部の責任の取り方について疑義を呈する。

 参院会長、幹事長など党幹部がそろって引責辞任を表明したのに、なぜ安部だけが辞めないのだ。原因を作ったトップが責任を取らないのでは、国民に対して説明がつかない。そもそも「安部か小沢か」と言って国民に選択を迫ったのは総裁自身ではないか。もはや選択の余地はない--。
 激しい議論は一時間近く続いた。結局10人以上が安部の政治責任を追及する。総務会長の丹羽雄哉は、すべての発言をメモに留め、怒号の飛び交ったその場所を後にした。向かう先は首相官邸であった。

[静かなる爆弾]

 2006年秋、一部の年金記録の行方が分からなくなっているという情報は、すでに安部官邸に伝達されていた。当時は、些細な事柄と受け止められる。件数も多くない。きっとデータ上のミスだろう。しょさん野党の一部が騒いでいるだけだ。そうやって片づけられる。
 
 年が変わって2007年2月14日、衆議員予算委員会で民主党の長妻昭が「消えた年金記録」を質した時ですら、官邸に焦りの色はなかった。担当大臣の柳沢もまるで無自覚であった。
 社会保険庁は、本来業務で忙しいのだ。そうした中で処理をしている。年金記録を調べろと言っても簡単にはできない相談だ。
 長妻からの再調査要求に対してもこんな調子であった。あまりにも鈍い反応。実際、柳沢は、自信の「産む機械」発言の釈明に追われて、「年金」どころではなかったのである。

 3か月後の2007年5月、納付者を特定できない国民年金や厚生年金の納付記録が、5095万件以上あることが発覚する。信じ難い数字が明らかになり、それが独り歩きを始めると、マスコミがこのテーマに跳びつく。それは狂乱とさえいえるものだった。来る日も来る日も、年金問題が報じられる。
 初めは小さな新聞記事だ。それが雑誌に取り上げられて、やがて大きな見出しになる。すると様子を窺っていた他の新聞も、改めて記事を出稿する。今度は前回より大きな扱いだ。こうした活字媒体の動向を見て、テレビが興味を示す。まずは報道番組で事実関係だけを伝える。もし視聴者の反応が良ければ、次は情報番組だ。朝夜、休日を問わず、洪水のように同じテーマが繰り返される。終わりは決まっていない。視聴率のグラフの右肩が上がり続ける限り、このテーマは続くのだ。
 
 この5月、消えた年金記録問題は、こうした流れを経て、一躍ワイドショーの主役に躍り出たのである。安部官邸は、完全にお手上げ状態となる

 一方、安部官邸はまだ戦闘態勢に入っていなかった。より正確に言えば、すでに戦場に立たされていたのだが、その認識すらなかったのである。

 政権には驚くべき楽観主義が横行していた。誰も目前に迫っている危機に気付かない。いや気づこうともしない。手柄は進んで求めるが、危機は意識的に遠ざける。安部鑑定の習性がここでもいかんなく発揮される。こうして結局安部自身が、戦闘の最前線に押し出されるのであった。
 半年間にわたって装備した武器を携える長妻、その攻撃の前に無防備で立つのが安部という構図---.

□今日の読書 ★★★★★

官邸崩壊 安倍政権迷走の一年 Book 官邸崩壊 安倍政権迷走の一年

著者:上杉 隆
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2009年1月15日 (木)

[ 菜根譚の読み方] ひろさちや

[奢者富而不足。何如倹者貧而有余。能者労而府怨。何如拙者逸而全真]

 贅沢をする人は、いくら裕福であっても満足できない。これでは、倹約を守っている人が、たとい貧乏であってもいつも余裕があるのには及ばない。才能のある人間は、一生懸命に苦労して、それで他人の怨みを買うありさまだ。これでは、無能といわれる人間がのんびりとやっていて、しかも自分らしさを保っているのにおよばぬではないか。
 
 前半は、仏教の教えである「少欲知足」--欲望を少なくし、足るを知る心をもて--に通ずる。後半は、いわゆる「器用貧乏」に相当するか。有望な人間ほど、気苦労が多いものである。

 だから「菜根譚」は、あまり才能を見せびらかすなと助言している。俗諺にいう、「能ある鷹は爪かくす」と。これども、逆に考えれば、エリートは気苦労が多いものである。大衆はのんびりとしている。洋の東西を問わず、そのようになっている。エリートがのんびりしようなどと考えるのは、それこそ虫がよすぎるのである。

 富貴や名誉は、それが徳望によって得られたものであれば、野山に咲く花のごとくで、自然に枝葉が伸び広がる。それが功業によって得られたものであれば、鉢植えや花壇の花のごとくで、あちこち植えかえられたり、捨てられたりする。もしそれが権力によって得られたものであれば、花瓶の花のごとくで、根がないものだから、しぼんでしまうに時間はかからない。

「菜根譚」の人間世界の観察眼は、さすがに鋭い。名誉や富貴は、いろんなかたちで得られるものだ。その得られ方によって、それがどれくらい持続するかわかる。職場において、上に立つ人間を、このような視角から評定してみるとおもしろい。彼の持っている権力が、どれくらい持続するかが占える。逆に、その持続度によって、彼の持つ権力の性質がわかるともいえる。

[未だ就らざるの功を図るは、已(すで)に成るの業を保つに如かず、既往の失を悔ゆるは、将来の非を防ぐに如かず。]
 まだ完成せぬ仕事の利益を計算するより、すでに完成した仕事の持続を考えたほうがよい。過去の過失にくよくよするより、将来の失敗を防ぐほうがよい。

[人之過誤宜恕、而在己則不可恕。己之困辱当忍、而在人則不可忍]
 他人の過ちは許すべきであるが、しかし自分の過ちは決して許してはならない。自分の苦難はじっと耐えるべきであるが、しかし他人の苦難は見過ごしてはならない。

[持身、不可太皎潔なるべからず。一切の汚辱穢をも、茹納し得んことを要す。人に与するは、大だ文明なるべからず。一切の善悪賢愚をも、包容し得んことを要す。]

[山が高く険しいところは、木が生えないが、谷川のみぐるあたりは草木が密生する。水の流れの激しく急なところには魚がすまぬ、水のよどむ深いところには魚やスッポンが群れをなしている。このように孤高を誇り、狭量で性急な気持ちは、君子たる者が深く戒めたいところである。

□今日の読書 ★★★★★

中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚 Book 菜根譚の読み方 

著者:ひろさちや
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2009年1月13日 (火)

[私の男] 桜庭一樹

[花とふるいカメラ」

「ねぇ。かぜ、ひいてない?」
「これぐらいで、ひかないだろ」
ほそい指から投げ捨てられた煙草が、小さく光りながら窓の向こうに落ちていった。
「そりゃあ、淳悟は丈夫なほうだけど。でももう若くないんだしさ」
 つとめてつめたく聞こえる言い方をして、淳悟に背を向けた。電気をつけようと、天井からたれさがる紐に手をのばしたとき、背後からぞくり、と雨の匂いがした。それに取り囲まれて、こわばって動きを止めた。

 背中から抱きしめられて、髪の中に、淳悟の鼻が押し付けられた。むかしとおんなじ、抱きしめ方。からだの奥で、あの泡がたくさん立った。鳥肌が立つような嫌悪感が増していった。
「・・・それなら、あたためてくれよぉ」と低い声がした。吐き気と、目眩で、立っていられないような気がした。こういうのは、もういやだ。ほんとうに、もういやなのに・・・。だけどどこからか・・・こころの、遠くから、いとしい気持ちがこみあげてきて、わたしはつい「淳悟・・」とつぶやいた。名前を呼んだら、囚われた。彼の長い腕の中でからだを回して、正面から、この疲れた男の首のしわに手のひらをはわせた。
 離れられない。
 そばにいたい。
 もう、離れないといけない。
 でも、できるだろうか・・・

 額に、鼻が押し付けられた。ゆっくりと顎を上げると、暗闇の中で目があった。淳悟はむかしと同じで、黒くて切れ長の瞳をしていた。また嫌悪感が増した。いやだ。きらいだ。でも、嫌いだから離れられる、と安心した瞬間に唇がふさがれて、こころの中が、ふるびた、男への思いで再びいっぱいに満ちた。
 二人して、畳の上に落ちた。そのまま抱き合って、じいっとしていた。どちらも動かなかった。雨のような湿った、男の体臭が増した。痩せたからだは、乾いてどこもカサカサしていた。

「愛してるよ、花」
 わたしは唇をかんだ。そんなこと、わざわざ自分から言ったことなかったのに。こんな夜に限って、この男は。玄関の外で、洗濯機ががたがた、がたがたと鈍い音を立てていた。
「この世で、おまえを愛している男は、俺だけだ。血が繋がってる。他人の男にそれを求めたらって、無理だ」
「でも、べつに、男の人になんか愛されなくってもいいの。女って、安定さえしてたら、ちゃんと生きていけるものよ」
「・・・嘘だろ、それは」
はなから信じていないような、乾いた笑い声が響いた。
「そんな女、いるもんか」

「おとうさん?」
「・・・なんだよ」

 眠っていたはずの淳悟が、ゆっくりと目を開けた。切れ長の瞳が、わたしをやさしく包む。
 色のない薄い唇が、悪戯っぽい微笑みをたたえている。目の下にひろがるたくさんのしわ。お、おとうさん、とう一度つぶやくと、だから、なんだよ、と笑った。涙が出てきて、布団の中で養父にしがみついた。カサカサと痩せたからだは、どこも乾いて、かたかった。淳悟が唇を開いて、色の悪い、長い舌をのばしてわたしの顔を舐めた。涙をふき取ったのだ。淳悟が舐めてくれるから安心して、声をたてずにずっとなき続けた。長い舌。ふざける牡犬のようだ。おとうさぁん。呼んでも呼んでも、やがて淳悟は返事をしなくなった。ただだまってわたしを舐めまわし続けた。熱い舌。唾液の匂い。しがみつくとははり、さびしい、雨の気配がした。おとうさぁん。おとうさぁん。

「長かったなぁ、花。思ったよりずっと、長くかかった」
「うん・・・」
「一緒ににげたんだよな。こんなに遠くまで、あれから、もう八年か」
 風にいまにもなぎ倒されそうで、わたしの足がふらついた。
 おそるおそる見上げると、淳悟の横顔はあの夏の夕方のように、暗く陰っていた。低い声で、吐きすてるように、
「おまえ、もう、俺を忘れろよ」
「なに言っているの、淳悟。忘れたりしないわ・・・」

 雅楽の調べが鳴り出した。三三九度の盃を交わして、指輪を交換した。わたしは披露宴もふくめてほとんどを新郎に任せっきりだったから、なにをどうやったらいいのかわからなくて、そのくせ、淳悟のほうばかり見ていた。小声で美郎にささやかれるたびに、あわてて機械仕掛けみたいに動いた。

□今日の読書 ★★★☆☆

私の男 私の男

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2009年1月12日 (月)

[伝説のプロ野球選手に会いに行く] 高橋 安幸

[犠牲バントは勝っているときにやるもんじゃない 千葉茂]

 昭和25年、千葉さんは105四死球という記録をつくっている。これは王貞治が38年に破るまで最高記録だった。
「2-3からは絶対にヒットを狙わないんですよね。ヒットを狙っても確率は3分の1、でも、フォアボールなら5割の確率で塁に出られるという。そのほうが得だと。で、調べてみたら、確率は本当にそうなっているんで驚きました」
「ただね、本当の犠牲バントの意味はね、負けているときに、追いつくために、一塁走者を二塁に送る手段。負けているときやで。それも一点差。これが原則なんだよ。勝っているときにやるもんじゃない」
「以前、吉田義男さんが、『勝っていても、さらにしつこく追加点を取るためにやる』なんておっしゃっていましたが。
「しつこいというより、ケチな作戦やな、それは。はっはっはっ」

[なんで400も勝てたのか、真実を言ってみようか? 金田正一]

「なんで400勝できたのか、本当のことを言ってみようか? 強い体をもって努力したから、だよ。勝つ材料、つまり体がなかったれ勝てない。だから、体そのものの素質と、その人の自己管理が行き届き、節制をすれば勝てる」

「長嶋さんが大学4年のとき、お蕎麦屋さんで攻略法を練っていたというのは本当ですか?」
「本で読んだんだろう? 蕎麦屋にいたのは事実だ。ただな、ワシが蕎麦屋のテレビで長嶋のホームランを見た事実と、4三振はワシのなかでは結びつかない。結びつけたのはその本を書いた人であって、ワシが『長嶋を意識してテレビを見ていた』と書かんと、ストーリーが進まないからや」

[フォークボール=杉下茂、ということは以前から頭に刷り込まれている。[元祖]であることもわきまえていた。]

 今時、フォークは日常的な変化球になり、高校生だって投げている。つまりは、事実上、フォークを教えられる野球人はほかにもいるのだし、[元祖]の出番はないものと決め付けていたのだ。それでも松坂は、いや、東尾修監督は、[元祖]に助けを求めた。

「では、杉下さんのフォークと今のフォークは、軌道も落ち方もまったく違うものと考えていいのでしょうか?]

「違うね、うん。伸びるんだよ。投げ方、投げる場所に応じて、落ちないでフーッと伸びる。ナックルと一緒だね。」
 ボールの軌道を手の動きで示してくれたのだが、実感できない。「伸びる」というのは、バッターの胸元に近づく、という意味のようでもある。そういえば、青田さんは(まず、いったん速球のようにグーンとホップしてくる)と書いていたが...
「ボールの回転はまったくないわけですか?」

「ない。回転がないから、風が吹くまま、気まぐれに変化して、揺れながら飛んでいくんじゃないかな。僕のフォークは、調子のいいときは3段ぐらいにわたって落ちた。振れながら落ちて行って、バッターの手元でさらに2段階に落ちていく。こう落ちて、こう落ちて、最後はドーンと落ちる」

 杉下さんの腕の動きに合わせて目で追いかけると、それはまさに「魔球」としか表現できない途轍もなくシュールな軌道に見えた。

[エンジンを締める力が強ければ、カーン!と飛んで行く 中西太]
 「ワシは1年目、泳ぐようなバッティングでライナーを打っとった。それで2年目に入る前、巨人の名ショートやった平井三郎という人にある程度、ボールを引き付けて打つにはどうすればいいか教わった。そのためにね、ベースのような布団のようなものを股に挟んで、股を締める練習をした。エンジンのバランスが完成しときゃ、泳ぐようなことはない。ほんで、雨が降ったら、リストの力を付ける練習しとった。下と上の力がうまく合わさったらごん! と振れる」

「先日、イチローが股間部分を鍛える練習をやっているのをテレビで見ました」
「そうやろ? 若松もそうや。アイツはこんな太い足をしとる。『ならばその足を生かせ』と言った。理屈を言えば、内転筋やな。ココを鍛えていいエンジンをつくる」

「昔の人はよく、『引きつけて、高いところから最短距離で打つ』と言った。言葉で言うたら簡単やね。だけどこれ、インコース打つだけの打ち方や。90度に、広角に打ってええんや、ベースボールやから。ボールが行きたい方向に打てばええのや。逆らわずにな。だから、いいバッターはムダなところで力みがない」

「力みがないというのは、先ほどの、力が抜けたように見える状態と同じですか?」
「そうそう、逆に、力むちゅうことはイコール、関節が止まるわけやね。まぁ、ガイジンなら少々力んでも、足の力と腕力で行ける。しかも、リーチがあるから遠いボールも届く。ワシらはリーチがないんだから、いかに効果的なポイントまでボールを引きつけるかと。ひきつけるということは、その間に体制を崩してはいけない。そのために、真ん中のエンジン、内転筋の力、これを制御する。それに日本人の体は向いているんだよ」

 「あの、85年、阪神が優勝しましたな。あのとき、219本のホームランを記録しましたが、チームの犠打も141でセリーグで一番多かったんですよ。でも、バース、掛布、岡田、真弓にはバントを1本もさせてません」
 この年、3冠王に輝いた3番のランディ・バースが54本塁打。4番の掛布雅之が40本、5番の岡田彰布が35本、そして1番の真弓明信までが34本を記録している。
 「やっぱり、彼らにつなぐため、走者をスコアリングポジションに進めるために、2番の弘田、あるいは吉竹や北村、木戸とか平田とか、ピッチャーを含めてね、ものすごくたくさんバントさせました」

 クリーンアップにつなぐ2番は弘田澄男、吉竹春樹、北村照文が交互に起用され、記録を見ると、この3選手合計で50犠打。7番の平田勝男はチーム最多の25犠打で、1試合4犠打の日本記録までつくり、保守の木戸克彦は8番で上位打線へのつなぎ役を担っていた。

 「そうやって、たえず、相手バッテリーにプレッシャーを与えた。そのことが219本という数字につながったと僕はおもいますね」
「送りバントによるプレッシャーがピッチングに微妙な影響を与えていたと。その回数が非常に多かったということですね。」
「ハイ。やっぱり野球は攻める競技ですから。バントがものすごく攻撃の幅を広げてくれたと。足を使うよりもひろがりましたよ、あの年に限っては」
「送りバントによるホームランのお膳立てのようなものですね」
「そうです! ピッチャーの心理にじわじわと働くお膳立てができてたんとちゃいますか」
 
□今日の読書 ★★★★☆

伝説のプロ野球選手に会いに行く Book 伝説のプロ野球選手に会いに行く

著者:高橋 安幸
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2009年1月 9日 (金)

「これから」夏目房の介

[金子光晴の老い方]

 金子光晴「衆妙(しょうみょう)の門」(桜井滋人による聞き書き)という本がある。
 大学を出たばかりの私は、これで金子光晴のファンになった。詩や文のほうはほとんど知らないが、この本にあらわれる金子老人に惚れたんである。
 もういきなり最初から最後まで女遍歴の話。猥談。きわどい話。そればっかし。
 当時私がもっていた老人というイメージからは想像もつかない、びしゃびしゃと音をたてそうな生々しい口調。それでいて下卑たいやらしさのない堂々たるスケベ。こんな老人が目の前にいたら、思わず一日中でもお話をうかがってしまうに違いない。

 人に聞いたところによると金子老人、初対面のときはムスッとしていかにも偏屈。こりゃかなわんなと思っていると、いきなりスケベの話を始めるのだという。写真で見るかぎり、眼光鋭い、いかにも偏屈そうな老人であった。そりゃたしかにドギモを抜かれるだろう。

 たとえば百戦錬磨の三十代の女性に、あっちの達人について聞く部分はこんな調子だ。<<赤坂の太鼓もちの名人がいたてえの。これは長襦袢でそろりと入って、ああはじまったな、と思うともう何もわからなくなっちまうんだって>>

 うーん、すごそうである。で、その女性がそのあとでいうんだそうである。
<<でも、ああいうの技巧がすぎて、あとで嫌なものよ。やっぱりあなたのようなのがいいわ>>
 うふふ。なるほど。柳家三亀松(みきまつ)(って誰も知らないか)。歳をとると、こんなことも話せちゃうのか、と初めて読んだ頃は思った。

 あこがれのジジイ群像を並べてみてわかるのは、私のあこがれる追い方にモノサシになりうる共通項がある、ということだ。

 その一。老いの自然な芸を感じること。すなわち彼の存在自体が面白いこと。
 その二。後悔や未処理な感じを与えないこと。後悔や未処理なことは、ふつうに人生を送っていれば、誰だってきっとあるにはちがいないが、もはやそれとは別の心の居場所ももっている感じがするということだ。
 この心の居所については、かすかながら推測がつく。後悔や未処理なもの、冷や汗ものの実人生があればあるほど、しまいにはそれをどっか別の場所から他人事のように見ないと人間をやっていけなくなる。そんな、実人生や人間そのものを、遠くから眺めざるをえない場所である。

 漱石は理不尽にこわい父親だった。父もそうで‥‥、若い頃の私も‥‥、だから今の長男もそうらしい。因果応報とはこのことか。トホホ

□今日の読書 ★★★☆☆

Korekara

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2009年1月 7日 (水)

「運慶の数珠―仏師の子に生まれて」栗原 照久

 祇音にとって十年ぶりに見る奈良の街は、平氏の蛮行で惨憺たるものだった。東大寺大仏殿はもちろんのこと、中門から南大門は跡形もなく焼け、その間の東塔と西塔は崩れ落ち、興福寺に至っては中心伽藍の金堂・講堂・東金堂・西金堂はおろか寺の周辺のほとんどが焼き尽くされ、僧や仏師の生活と教学の場さえ満足に確保されていなかった。

 夫の行隆はまず東大寺の大仏をどのように再建するかで苦慮していたが、祇音の心は裏腹で、かねて噂に聞いていた円成寺にある運慶の大日如来が気になっていた。数ある彫物師の中で数珠玉に彫られていた「運」と「慶」の文字を使う仏師はこの運慶しかいないことを祇音は知っていた。風のように渡り歩く白拍子の舞姫の頃に出逢った阿古丸が立派な仏師となって作り上げた最初の作品をどうしても見たかった。

 重源上人と夫の打ち合わせの隙を見て、祇音は一人牛車を東大寺の北東およそ三里(約十ニキロ)のところにある円成寺に走らせた。懐かしい柳生への路であった。かつて、とぢと共に祇王や祇女を連れて歩いた山路である。

 お忍びではあるが、東大寺大仏復興の長官の妻が円成寺を訪れたのであるから、寺から特別な計らいがなされたことは、言うまでもない。祇音は最初に寛遍(かんへん)僧正がつくった五月の青葉がざわめく庭園を見てまわり、それから本堂に上がって本尊の阿弥陀如来を拝み、帰りがけに多宝塔を覗いてみた。しかし、この多宝塔こそ本当は祇音が一番先に見たい場所だった。その多宝塔の中には、あの男の作った大日如来が座していた。

 祇音は小柄な大日如来の姿を見るなり、おもわず鳥肌が立った。
 ほんの少し丸みを帯びてはいるものの、十八年前の自分がそこにいたのである。髪の櫛の入れ方といい、眉の描く線から下に伸びた鼻梁と小さな鼻翼は十六のときの自分の顔であった。首にかけられた胸飾りは覚えがないが、上腕に巻かれている腕輪(ひせん)は、祇音が好んで付けていたものに似ていた。少々鳩胸気味だと、とぢに笑われた張りのある硬い胸や、細く締まった腹部は、あの男に見せた若き日の舞いに明け暮れた自分の身体であった。祇音は涙が溢れそうになった。

「阿古丸・・・」
 祇音は思わず運慶の名を口走った。
 祇音は頬を伝う涙を拭わずにいた。
---あの男の胸の中には、まだ私がいる。
と祇音は確信していた。
---逢いたい、あの男に一目会いたい。そして、詫びねばならない。
と祇音は思った。

「わしはよくわからんが、定慶は、春日神社に捨てられていた孤児と聞いたが・・・父の子ではないのか」
 運慶は、はっきりと自分の抱いていた長年の疑問を言った。
「そのようなことは、噂になったことがありますが、まったく存じません」
 運慶の父親の醜聞を、運慶を目の前にして言うには憚られると思ったのか、国成は、明言を避けた。さすがに、何の根拠もない噂をまことしやかにふれて回るような軽率なことはできないという自制心が古参の国成に働いた。

「そうか」
 運慶はぽつりと言って、茶碗を床に置こうとした。
「ただ、阿古丸様は、その昔、白拍子として舞いを得意としたとか。それで、定慶殿の散手の面をご自分でお付けになり、武舞を披露したと聞き及びました。」
「何! 阿古丸様が、白拍子だったと・・・」
 運慶は驚きのあまり、茶碗をうまく置くことができず、転がしてしまった。中には白湯が残っていなかったので、転がった茶碗を国成が押さえ、自分の脇に置いて返事した。
「はい、そう聞きました」
「そうか。それは、知らなかった」

 運慶は、じっと一点を見つめたまましばらくの間動かなかった。

仏師略系図

康尚---定朝---覚助---頼助---康助---康朝---康慶--+-------運慶---+---湛慶
                        |                    +---康運
                         |                    +---康弁
                         |                   +---康勝
                         |                    +---運賀
                         |                   +---運助
                                                    +-------定覚--------覚円
                                                +-------定慶
                                                +-------快慶---+---行快
                                                                   +---長快
                                       +---栄快
                                            

□今日の読書 ★★★★★

運慶の数珠―仏師の子に生まれて Book 運慶の数珠―仏師の子に生まれて

著者:栗原 照久
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2009年1月 5日 (月)

「これからを面白くしそうな31人に会いに行った。」 近藤 ヒデノリ,米田智彦,サトコ

[思いついた事を即やってみようという勢いを大切にする]

米田 お二人は雑誌のスタッフ募集から出会い、映画を撮るようになったそうですね。結成した頃はどんなものを撮ろうと話していたんですか?

高橋 その頃は先のことは全くしゃべらずに、「今はこれが撮りたい。じゃあそれを撮りに行こう」って、それだけで動いてましたね。そこに意味なんかなくても、ただ本当に「レモンを金属バットで打ってみよう」と言ってたら、本当に打ってみたりして。

米田 衝動があったら、即やってみようと(笑)。
高橋 はい。それが途中から、なんとなくストーリー性や感情を帯びてきたりしていった感じですかね。最初はそんなもんでした。

米田 でも思いつきの部分と、自分の中で時間をかけて構築していく部分はどう折り合いをつけてるんですか?
 
高橋 まず、勢いを優先します。やっぱり、やってみたいという気持ちが本当の部分じゃないですか。その本当をどう見せるかって言う嘘を塗り固めていく漢字ですかね。そこは絶対崩さないっていうのが僕らのスタイルですね。

米田 「ある朝スウプは」が狭いアパートの部屋一つで物語が構成されているのが凄く面白かったんですよ。

高橋 あの作品に数千万とか予算があったら、あの部屋から出て、風景を描いたり、余計な事をやっていたかもしれないですね。ですから作品を撮る金額っていうのは、本当に10万、20万あればいいのかなって思います。ただ、それをどうやって劇場公開や、映画祭まで持っていくのかと考えると、そこからのお金が多少必要なのかなって。

米田 「14歳」では当時の自分を思い返したり、今の14歳を創造したりしながら脚本を書いて作っていったんじゃないかと思うんですが、リアルと虚構のバランスについてはどう考えていました?

高橋 元々「14歳」の脚本はリアリティーを追求していなくて、廣末君が演出すれば、自然に人間の生々しさが出てくるだろうと予想しながら書いていたんです。でも、「ああいう人間が実際にいるのか?」って議論になったら、もう全世界の映画の中の登場人物がそうなのか?っていう話になってしまう。観る人の感情を揺り動かすための嘘を追求しただけなんです。

[書き込みがある方が本の価値はあがる?]

 次に、内沼が行った「WRITE ON BOOKS」から「encounter」に共通する、本への「書き込み」について聞いてみた。「古本の価値って、(古本屋の)ブックオフの仕組みが象徴的なんですけど、「きれいかどうか」っていうのが一つの重要な基準なんですね。書き込みのある本というのは、どんなにいい本でも古本では価値が下がってしまうんです。だけど、「書き込み」って実は面白かったりするんですよね。なんでこの人はここに線を引いたんだろうとか。誰かの手を通っている、しかもその人の考えが入っている事で、元の本よりも価値が上がっているという事もあるんじゃないかなと。極端な話、妻夫木聡が読んだ本だったら、それが証明されていれば・・・。書き込んだ人が無名な人だったとしても、面白いことが書いてあったら、それは凄くオリジナルなんですよね。「WRITE ON BOOKS」は、(書き込みがされた)その瞬間、世界に一つしかない本になるっていう事を伝えたいと思って立ち上げた企画です。

 
 このインタビューの後、僕は横浜・馬車道のブックルーム「encounter」に行ってきた。Bank Artの向かいのビルの一室。壁にずらりと並んだ本棚。すべての本にカバーがされていて中身は見えない。その中の一冊を手にとると、以前に読んだ人の感想などが挟みこまれている。一冊の本とその読者を介して出会うという、全く新しい「本屋」体験だった。

 その後、内沼は自身の「本とアイデア」のレーベル「numabooks」を設立。アパレル、カフェ、ホテルなどのブック・コーディネイトをメインに、色々な業界で企画・ディレクションの仕事を手がけている。'06年には、TSの展覧会にも参加してもらい、会場を訪れた人のおすすめ本がその場で購入できる参加型本屋を作ってもらったり、彼の企画した「INDEPENDENT FESTA」にも参加させてもらったり‥‥‥今後も様々な形で共犯したい仲間である。
 
□今日の読書 ★★★★★

これからを面白くしそうな31人に会いに行った。 Book これからを面白くしそうな31人に会いに行った。

著者:近藤 ヒデノリ,米田智彦,サトコ(TOKYO SOURCE)
販売元:ピエ・ブックス
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「ほつれとむすぼれ」 田口 ランディ

[顔というマンダラ]
 私はまたしても、母の顔に注目した。
 顔が変わっているのだ。点滴の浮腫みはさらにひどくなっていた。だけど、その浮腫んだ顔の中に表情のようなものが感じられる。いやおうもなく感じてしまう。なにかの意思、あるいは生きている力のようなもの。

 いったい自分が母の顔から感知しているものの正体はなんなのだろうか。私の思い込みなのだろうか。だけど私は母の顔から確かになにかを読み取っているのだ。ただ、いったい何を読み取っているのか自分でもわからない。

 倒れてから二ヶ月が過ぎたころ、母を訪ねると、母は相変わらず病院のベッドに横たわって宙を見据えていた。目を開けていた。そのころには眼の白濁はずいぶんと取れて、もとの黒目が戻りつつあった。眠っているときは眼を閉じるようにもなっていた。
「お父さんったら、いまごろになってお母さんのありがたみに気がついたみたいだよ」
と、私が母の耳元で囁いた。

 すると、母の右目の目じりと口元がわずかに引きつった。本当にわずかではあったけれど、それは母が照れ隠しをするときの表情の癖で、まぎれもなく母の個性が顔のわずかな神経を動かしていたのだった。
 

[アレクセイと泉のこと]
  2001年の年末に「アレクセイと泉」という映画の解説文の以来を受けた。
 依頼を受けた頃は、疲労のために風邪をこじらせて体調も絶不調の時期で、原稿も差し迫った締め切りのあるもの以外はほとんど書いていなかった。

 初日、なんてことだ。寝てしまった。実に淡々とした映画なのである。
 舞台はベラルーシ共和国の小さな村。チェルノブイリ原発事故で放射能汚染され、六百人の村人のほとんどが村を去った。そして五十五人の老人と一人の若者が村に残った。村は地図から消された。この村には泉があった。百年もの間、人々を潤してきた泉。村の周辺は放射能に汚染されているのに、なぜか、この泉からは全く放射能が検出されなかた。。
 物語みたいだ。でも、ドキュメンタリー映画である。

 二日目、また最初から観る。
 チェルノブイリ事故で汚染された村の映画だから、暗い社会派の映画なんじゃないかな、とふと不安になる。ごろごろとリビングの床暖房の上に寝転びながら、最初に映し出されるロシアの雪原を見て、「うわー寒そうだなあ‥‥」と思った。

 三日目、さらに最初から観る。
 このときになって、ようやく私は「きれいな映像の映画だなあ」ということに気が付く。たぶん映画館のスクリーンで観ていたらすぐに気づいていたんだろう。
 ようやく三日目にして、最初から最後まで集中して鑑賞し、映画の世界に没頭した。そしたらとても不思議なことが起こった。

 この映画の全編に登場するのはブジシチェ村の泉である。ラストシーン近く、泉の水が画面に大きく映し出される。
 水はふつふつと湧いていた。その湧き出ずる水の、なにかが私にいきなり転写されてきたのだ。
 これは言葉に置き換えたら、希望とか、勇気とか、慈愛とか、そういう陳腐なものになってしまうのだけど、よくわからないなんらかの「力」だった。「力」であることだけは確かだった。

 気がついたら悲しくないのに涙が流れている。妙なこともあるものだと思った。
 私はなぜ泣いているのだろう。
 私は、生きる力みたいなものが自分のなかに転写されたのを感じてしまった。
 それで、観終わってからすぐさま「転写される水の力」というタイトルの原稿を書いた。
 それにしても、奇妙な気がだなあと思った。

□今日の読書 ★★★☆☆

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