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2008年10月

2008年10月31日 (金)

「官僚との死闘七〇〇日」 長谷川 幸洋

[政治を根底で動かしている基本図式]
 
 いまや「与党」VS.「野党」、「自民党」VS.「民主党」ではない。「与野党双方の改革派」VS. 「政権内抵抗勢力」という構図にシフトしつつある。参院での首相問責決議が象徴したような与野党対立は陳腐化した。与野党の改革派が手を結んで公務員制度改革の法案を成立させた経験は、やがて政界再編にも影響を及ぼすにちがいない。

 ある高級官僚が語った言葉がある。
「政治主導なんてのは言葉だけだ。政治家なんて結局、おれたちがいなくては、なにもできないのさ。官僚がこの国を動かす仕組みは永久に変わらないんだ」
 追い詰められた霞ヶ関官僚の本心を物語っているのではないか。
 だからこそ、霞ヶ関との戦いは続く。これは安部政権から現在に至る約2年間の戦いと、今後を展望した中間報告である。
 
□今日の読書 ★★★★★

官僚との死闘七〇〇日 Book 官僚との死闘七〇〇日

著者:長谷川 幸洋
販売元:講談社
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2008年10月29日 (水)

「貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法」 松本 哉

[食い逃げ作戦]
 まずは、携帯ショップの店頭なんかに置いてあるサンプルの携帯電話を手に入れよう。これは携帯ショップやフリマなんかでタダ同然で手に入る。で、まず、適当に高級ホテルのレストランなんかに行き、さんざんいいものを食べる。そして、タバコでもすいながらおもむろにニセ携帯を取り出し「ああ、○○さん。いまどこですか。‥‥うん、目の前だ。いま迎えに行きますよ。ちょっとそこで待っててください」などとニセ会話をして、適当な書類を入れた封筒とともに、携帯をテーブルに置き(←これが重要)外に出てそのまま帰る。去り際に「じゃあ、コーヒー二杯持ってきといて」などと注文していけばもうバッチリだという。携帯があるので店員も安心しきるので、これで捕まったことはないとのこと。

[葛飾の別荘作戦]
 ペンキ攻撃も大成功に終わったのはいいのだが、敵もさる者、まんまと警察を呼ばれて逮捕され、留置場に送られた。しまった!!
 いやー、これは不覚だった。‥‥と思ったのもつかの間。これがまたびっくりするぐらい楽しい所だった! 留置場は6人部屋で、ヤクザの親分から、麻薬の売人、福建省から来たけどビザが切れたラーメン屋店主、ゲーム喫茶の逮捕要因店長、ベロベロに酔って人を殴ったランボー怒りのアフガン風のアメリカ人、痴漢、殺人犯、偽造カード製造業の香港人など夕方のニュースで見るような人々が勢ぞろいしている。前科26犯の詐欺師なんてのもいた! どいつもこいつも話題が豊富すぐて、毎日腹がよじれるくらい笑いながら雑談していると、とても牢屋の中とは思えないほどの楽しさだ!! 普通では絶対聞けない極悪情報から、詐欺師の話術、凶悪犯の人生観など、とてつもない社会勉強になり、本当にすごかった。

 こんな連中と、毎日毎日ヒマなものだからゴロゴロして漫画を読んだりしている。イメージとしてはちょっとガラの悪いユースホステルみたいなもんだ。諸君も機会があったらぜひ一度行ってみてほしい。
 
[恐怖!すっぽかしデモ]
 2004年の年末、しかもクリスマスイブの24日と大晦日の31日の両日、数百人規模のデモを申請して、実際にはほとんど行かなかったことがある。しかも名称も「反政府デモ」!これはビビるだろ。
 まんまと、やたら図体のでかい機動隊が数百人いるわ、すわアルカイダの登場かとも様子を見に来た公安刑事はいるわの大騒ぎになっていた‥‥。下っ端の警官や機動隊員には気の毒だが、まあ、たまには権力者にも牽制球を放っておかないと何をし始めるか分からないので、就いた職が悪かったとあきらめてもらうよりない。
 
□今日の読書 ★★★☆☆

貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法 Book 貧乏人の逆襲!―タダで生きる方法

著者:松本 哉
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2008年10月27日 (月)

「アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書)」 松本 仁一

[植民地支配が生み出した部族国家]
 
 アフリカでは他部族国家がほとんどだ。多くの場合、選挙は出身部族の人口比で決まってしまう。その結果、国益より部族益が優先されるケースが多い。ジンバブエのムガベ大統領は人口の八割を占めるショナ族の出身だ。ショナ族に有利な政策をとっていれば選挙で敗れることはない。それが、政権が長期化し、腐敗が進行した大きな原因である。

 植民地支配がアフリカに引いた国境線は、数多くの多部族国家を作り出した。それは国民意識を形成する上での障害となり、国民国家をつくりにくい状態を生み出した。国民が部族への帰属感を強く持ち、国家との一体感が薄い状態があると、権力者の腐敗をとがめる者がいなくなる。そのため、腐敗は非常な速さで進行していく。

[殺人は一日50人] アフリカ
 1998年度の殺人事件は21,553件。強盗228,442件、強姦52,425件。
 2005年度、殺人事件は18,545件。強盗194,449件、強姦54,926件。
南ア警察発表の数字だ。98年以降、殺人事件の件数は減少しているが、それでも2005年には一日当たり50人が殺されている。強盗、強姦など、凶悪犯罪全体の発生傾向は大きく変わっていない。それよりも、むしろ、けた違いに多い凶悪事件が毎年発生していることが、問題なのだ。

 民間調査機関「治安問題研究所」の調べによると、2001年の殺人事件の起訴率はわずか25%。強姦18%。強盗4%、カージャックにいたっては3%にすぎない。犯罪者の「やり得」状態が生まれている。同研究所は2001年の年次報告書に「われわれは戦いに敗れた」というタイトルをつけた。

[新植民地主義システムの新しい主役]
 西アフリカのセネガルが独立後、フランスでは援助名目で「コーペラン」(行政顧問)を大量に送り込んだ。未熟な現地官僚はそうしたコーベランに頼りきり、行政はコーベランが取り仕切るようになった。
 1980年代、アフリカ開発銀行が融資してセネガル川に三つのダムを建設する事業が始まった。同銀行は日本が最大出資国で、セネガル川流域の砂漠を農地に変え、食糧自給率を高めようという目的だった。しかし、ダムが完成したとき、流域の新しい可耕地はフランスのピーナッツオイル会社に買い占められていた。ダム建設を知った建設省や農業省の仏人コーペランが、ダム建設予定地などについての非公開情報を、フランスの企業に横流ししていたのである。

 農業予定地を買い占められてしまったため、地域農民は食糧自給がますますできなくなった。その結果、農民は農業労働者としてフランスの落花生農場に雇われて働き、フランスから輸入された小麦粉やコメを買って生活せざるを得ない境遇に落ち込んだ。
 そんな状態を招いたのは、仏人コーペランを排除しようとしないセネガル政府指導者の責任であることは明らかだ。指導者みずからが、自国を植民地的な境遇に陥れてしまったのである。

[アフリカの中国人]
 個人ベースの中国商人が入り込む一方で、アンゴラには政府ベースでも中国人が入り込んでいた。目当ては豊富な石油である。
 アンゴラの石油埋蔵量は80億バレルといわれる。サハラ以南のアフリカでは、ナイジェリアに次ぐ大産油国だ。急激な近代化でエネルギー確保に危機感を抱く中国が、それに目をつけた。

 2004年10月、中国政府にODA名目で20億ドルを融資し、アンゴラ政府は日量1万バレルの石油で17年かけて返済するという契約が結ばれた。中国側の融資はの内容は「住宅建設、道路・鉄道の補修」だった。
 その20億ドル融資プロジェクトのほとんどすべてを中国の国営企業が受注した。中国企業からは本国から労働者をごっそり連れてきて工事にあたった。設備も資材も中国から運んできた。アンゴラ人労働者は雇われず、アンゴラに金は落ちなかった。20億ドルは中国労働者の賃金、機材の代金として中国に還流した。

[国から逃げ出す人々]
 日本で働くアフリカ人の皮切りはガーナ人と言われている。彼らは1980年代後半からバブル期の日本に来はじめ、最初は埼玉県など東京の近郊の小工場で働いていた。しかしその後の不況で職を失い、95年ごろから都心に移ってくる。ビジネスセンスのある数人が、原宿などで、ヒップホップ系の店を始めた。六本木で風俗店のドアマンになるものも出てきた。
 ナイジェリア人は遅れてやってきたが、都心ではたちまちガーナ人を追い越した。やがて六本木の風俗店の客引きビジネスを独占する。

[アフリカ開発会議]
 2008年5月末、日本政府が主催する「第四回アフリカ開発会議(TICADIV)が横浜で開かれた。政府は、アフリカ53カ国中40カ国の首脳が参加したことで会議は成功だったと評価し、今後五年間で対アフリカ政府援助(ODA)を倍増すると宣言した。

 しかし、アフリカ首脳の多くが本書に出てくるような状態であるとき、日本が彼ら首脳を相手とした旧態依然のアフリカ外交を続けていていいのだろうか。
 ましてや、倍増を宣言したODAの多くの部分は円借款、つまり返済が必要な融資である。これまで30年間、いかに多くのアフリカ政府指導者が援助国からの借款を私物化し、債務のツケが国民に回されてきたか。今回、倍増を約束した日本のODAが、むしろアフリカの大衆を苦しめることにつながるのではないかと心配になる。

 TICADは五年に一回だ。前回のTICADからの五年間で、アフリカ最大の問題である「政府の腐敗と統治の失敗」がどう改善されてきたか。日本政府は国別にそれを検証し、場合によっていはTICADを、政府でなくアフリカの人々を対象にした会議にするべきではないだろうか。さもないと日本は、腐敗した首脳から足元を見られた「甘いスポンサー」になってしまうだろう。

□今日の読書 ★★★★★

アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書) Book アフリカ・レポート―壊れる国、生きる人々 (岩波新書)

著者:松本 仁一
販売元:岩波書店
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2008年10月25日 (土)

「日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト」古田 隆彦

[少子高齢化ではなく、少産・多死化]
 人口減少の原因はどきにあるのでしょうか。高名な人口学者は「少子化のためだ」と主張し、新聞やテレビも「少子・高齢化のためだ」ときめつけています。が、いずれも現実を見誤った見解にすぎません。
 人口の増減は、海外からの転出入がない限り、出生数と死亡数で決まります。出生数が死亡数より多ければ増え、少なければ減ります。少子化でいくら出生数が減ってもベビーはゼロにはなりません。なにがしかが生まれる以上、人口は前年より増えます。他方、高齢化で寿命が延びれば、死亡者は確実に減っていきますから、前年より減少分は減るはずです。

 少子化でも出生数が存続し、高齢化で死亡数が減っていくとすれば、出生数と死亡数の差はプラスになる可能性があります。つまり、少子・高齢化だけで人口が減るとは限りません。増えることさえあります。「詭弁だ」といわれそうですが、物事を正確に表現すれば、「少子・高齢化で人口が減る」とはいえないのです。

 では、なぜ人口が減るのでしょう。うそれは、2005年に死亡数が出生数を追い越したからです。生まれてくる人の数より死ぬ人の数が多くなる。そうなれば当然、人口は減っていきます。
 出生数が減ることを、人口学の「人口転換」論では「少産」と表現しています。社会の進歩発展に伴って、人口動態は「多産多死」(高出生・高死亡)から「多産少死」(高出生・低死亡)へ、さらには「少産少死」(低出生・低死亡)に至るというものです。ここでいう「少産」という言葉には、出産数そのものの減少が意味されています。

 この言葉に「化」をつけて「少産化」とすると、それが進む背景としては、

①出産適齢期にあたる女性人口が減ってきた、
②晩婚や非婚を選ぶ人たちが多くなってきた、
③結婚しても子供を作らない夫婦が増えてきた、
などが考えられます。その背景として、結婚・出産適齢期の人たちの間では、結婚したり子供を作ることより、自分の好みの生き方や暮らしを優先するという選択が増えていることがあげられます。

 一方、死亡数が増えることも、人口転換論では「多死」と表現しています。この言葉を引き継いで「多死化」という言葉を使うと、その要因としては過去50年間、平均して三年に一歳ずつ伸びてきた平均寿命がそろそろ限界にちかづいたという事情があります。マスメディアなどではまだまだ延びると書いていますが、実際のところ、一歳延びるのに、今後10年間では五年、その後の10年間では九年もかかる、という段階に入っています。こうなると、すでに高年齢層の人口が増え始めていますから、死亡数も当然急増します。いわば、「高齢化がはじけて多死化」となるのです。

 平均寿命が限界化したのは、現代の栄養水準や医療水準をもってしても、これ以上大幅な延命が不可能になってきたからです。栄養水準でいえば、昨今の豊か過ぎる食生活は逆に寿命を縮めています。医療水準でいえば、人工臓器や延命装置などを使用すれば、確かに100歳以上にまで寿命を延ばせるでしょう。だが、そのためには膨大なコストがかかりますから、一部の高額所得者はともかく、国民全体の寿命を延ばすまでには至りません。つまり、現代医学の最先端をもってしても、平均寿命を大幅に延ばすのはもはや無理な状況に入ってきました。

 このように少産化の背景には、近代的な生活様式や現代医学の限界があります。要するに人口が減るのは、出生数が減って死亡数が増加する「少産・多死化」のためであり、「少子・高齢化が人口減少の原因」などといっているのは、まったく不可解なことです。

 一部の工業先進国だけが高価な工業製品を生産し、大半の発展途上国は農業生産を担当する、というアンバランスな国際構造が進んでいました。こうした環境の下では、工業製品の価格が農産品より必然的に高くなりますから、高い工業製品を売って安い農産品を買うのは極めて賢明な方法でした。
 戦後の日本はこうした方策を積極的に推進することで、本来なら7600万人程度の人口許容量を一気に1億2800万人へと伸ばしてきたのです。

[逆転する農工の立場]
 ところが、こうした方策は今や限界に差し掛かっています。世界の産業分布では、発展途上国産品は工業化に伴う労働力の減少や農業用地の縮小などで、次第に供給不足へ向かっており、それに伴って価格も上昇し始めています。

 実際、2007年に入ってから、世界の穀物需給は逼迫の様相を強めています。生産量はなお増加しているのですが、中国、インド、ブラジル、ロシアなどで消費量が急増しているうえ、バイオマス燃料原料用の需要が重なって、需給バランスが大きく崩れたからです。小麦、米、大豆などの穀物の期末在庫量は、世界人口を養うに必要な量に換算して、55日分しかありません。過去最低の水準であり、異常気象や穀物投機などが起これば、世界的な食糧パニックへ進むおそれもあるでしょう。

 農林水産政策研究所が2003年末に行った、穀物価格の予想では、アジア地域の都市周辺部で、優良灌漑農地の多くが工業用地などへ転用されていることを考慮して、2030年までに、米は1.2倍、小麦は1.7倍、とうもろこしは1.6倍ほど上昇する、としていました。ところが、昨今の価格水準はすでにこの予測を超えています。

[マルサスの人口思想]
 マルサスは1798年に「人口論」第一版を出版し、「人口は幾何級数的に増加するが、食糧は算術級数的にしか増加しないから、その帰結として窮乏と悪徳が訪れる」という有名な理論を発表しました。人口と食糧の間には伸び率の差があるから、必ずパニックへ突き進む、というのです。そのショッキングな内容で、この本はたちまちベストセラーになりましたが、同時に厳しい批判にも晒されました。そこで、マルサスは何度も書き直し、1826年にようやく第六版を完成させました。最終版でマルサスが到達した結論はおよそ次のようなものです。

①人口は生活資料(人間が生きていくために必要な食料や衣料などの生活物質)が増加するところでは、常に増加する。逆に生活資料によって必ず制約される。

②人口は幾何級数的(ねずみ算的)に増加し、生活資料は算術級数的(直線的)に増加するから、人口は常に生活資料の水準を超えて増加する。その結果、人口と生活資料の間には、必然的に不均衡が発生する。

③不均衡が発生すると、人口集団には是正しようとする力が働く。人口に対してはその増加を抑えようとする「能動的抑制(主として窮乏と罪悪)や「予防的抑制(主として結婚延期による出生の抑制)が、また生活資料に対してはその水準を高めようとする「人為的努力(耕地拡大や収穫拡大など)」が、それぞれ発生する。

④人為的努力によって改めてもたされる、あらたな均衡状態は、人口、生活資料とも以前より高い水準で実現される。

□今日の読書 ★★★☆☆

日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト (幻冬舎新書) Book 日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト (幻冬舎新書)

著者:古田 隆彦
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2008年10月23日 (木)

「世界を不幸にするアメリカの戦争経済 イラク戦費3兆ドルの衝撃」 ジョセフ・E・スティグリッツ,リンダ・ビルムズ

[社会にのしかかる戦争のコスト]

 ここで、イラクとアフガニスタンで続いている戦争の真の社会的コストを見積もってみよう。これは財政的コストを超過した、つまり政府が支払う金額を超過したコストだ。死亡者ひとりにうき、VSL720万ドルとして、死亡した兵士それぞれに政府が支払う50万ドルを差し引く。重傷については、障害補償で支払われる金額を除き、負傷の頻度に応じて経済的な損失の価値を計算する。

 失われた命の価値、重傷や精神障害による経済的損失の価値、仕事をあきらめたり介護人を雇ったりしなければならない家族の社会的コストを計算に含め、障害を負った退役軍人に政府が支払う給付金を差し引くと、イラク戦争の財政支出を除いた経済コストは、"最良"シナリオでも2620億ドル、"現実よりの保守的"シナリオでは3670億ドルとなる。アフガニスタンと関連の活動を加えれば、コストは2950億から4150億ドルにおよぶ。

 "最良"シナリオには、直接の戦闘で負傷して除隊した兵士と、非戦闘で重傷を負った兵士の半数のみを含めた(負傷者の数の増加分、つまり平時の軍での推定死傷者数に加算される分の数値にちかづけるため)。

 この50%増加分の負傷が、別の形の障害にもつながると推定したので、重度のPTSD患者は50%、失明、重度の資格障害、難聴、外傷性脳損傷などの深刻な非戦闘員での負傷も50%のみを含めることとした。

 しかしながら、この手法には著しい制限が加えてある。すでに26万3000人の兵士がVAで治療を受けており、5万2000人がPTSDと診断されたことを考えれば、非戦闘での障害者数を半分に減らすことはきわめて恣意的な推定だと思われる。そのうえ平時には、予備軍や州兵軍の兵士は配置されること自体がまれなので、その死傷者数は非常に低いはずだ。
 
 したがって、"現実よりの保守的"シナリオでは、社会的コストを計算する際、すべての重傷者を考慮に入れることにする。ここには、敵対的および非敵対的な状況で発生した重傷者すべてが含まれる。計算では、医療救助が必要となったすべての兵士に、全PTSD患者の三文の一を加え、治療のため戦域から搬送されたその他の重傷者すべてに起因する経済的損失を補うわずかな給付金を差し引いた。

 どちらのシナリオでも、戦闘中に負傷し、治療され、任務に復帰した兵士たちは、その障害について支払われる小額の手当以上の損失はこうむらないものと推測した。性格の質低下のコストはまったく含めていない。極めて深刻な外傷や精神障害を伴う負傷者の世話をする家族のコストは含めた。要するに、私たちは極端に控えめな見積もりを行ったのだ。家族がかかえる未払いの医療費の増大や、生活の質の低下を含めれば、この数字は大幅に上昇するだろう。

 しかし、重大な戦争のコストはほかにもあり、その一部は定量化がむずかしいが、現実に存在する。そこには、兵士やその家族にかかるコストだけでなく、アメリカの経済と全国民にかかるさらに幅広いコストも含まれている。

[カトリーナ被害は戦争優先のつけ]
 次に、州兵軍と予備軍の大規模な配置によって生じる国内の欠員補充の財政的コストについて検討した。定量化がむずかしいのは、州兵や予備兵を国内にとどめておかないことで生じる費用だ。彼らの多くは通常、消防署や警察署で、あるいは緊急医療スタッフとして、地域社会の重要な"第一応答者"の役割を果たしている。彼らを地域社会から引き離したことで派生した影響は、ハリケーン・カトリーナによる大災害という無残な形で例証された。ハリケーンが襲来したとき、3000人のルイジアナ州兵と4000人のミシシッピ州兵はイラクに駐在したいたのだ。

 過度の要求をつきつけられた予備兵と州兵は、さらに戦争の別のコストにも対処させられている。国内に残る州兵に供給される装備が、十分ではないという事実だ。これが2007年の夏に致命的な影響をおよぼした。カンザス州グリーンズバーグに突然の竜巻が発生し、10人が死亡、数百人が負傷したのだ。州兵は、車両と重機の40~50%としか稼動させていなかった。救助活動に必要な装備の大半は、イラクへ輸送されていたからだ。州議会議員ドナルド・ベッツはこう語った。

「竜巻が襲った直後に州兵が出動して、町の安全を確保し、瓦礫をかたづけ、生存者がいるかどうかを確かめていれば、人々を救えたかもしれない。応答時間があまりにも遅く、それがひとつの傾向となっている。この傾向はカトリーナ後から見られ、過去の過ちを繰り返す結果とも言える」

 GAO(政府説明責任局)は、2007年1月、州兵の装備品不足に関する報告書を発表したときに、まさにこの問題について警告していた。
「州兵軍を連邦の海外任務に多用しているため、州が国内任務において利用できる装備品が減少してしまっている。また、残った州兵軍は国内での広範囲にわたるおびただしい数の脅威に立ち向かわなければならなくなっている。」

[コストの総計]
 本章では、政府の財政的コストには反映されない兵士とその家族にかかる社会的・経済的コストに焦点を当てた。これらのコストの一部は用意に定量化できるが、その他の部分はかなりむずかしい。可能なものだけ計算すると、イラク戦争の総コストにおよそ3000億から4000億ドルのコストが加わる。(ここでは、政府がすでに人命の損失に対して、あるいは傷害への補償として支払った財政的コストを超過した経済的コストのみを加えている)

 これによって、総コストは---利息を含まずに---"最良"シナリオで2兆ドル、"現実寄りの保守的"シナリオで3兆1000億ドルとなった。

 さらにもうひとつ、重要なコストがある。経済全体にかかるコストだ。この戦争は、アメリカ経済にも世界経済にも、よい結果をもたらしてはいない。この先何年にもわたって、さまざまな問題が派生してくるだろう。乳六できません。にゅうにゅう

□今日の読書 ★★★★★

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2008年10月21日 (火)

「最強ウイルス―新型インフルエンザの恐怖」 NHK「最強ウイルス」プロジェクト

[ある女性の死--それは、世界を揺るがす事件の始まりだった]

 ジャカルタから航空機でおよそ2時間。スマトラ島北部の小さな村で、その"事件"は起きた。オランダ統治時代から商業で栄えるというこの島最大の都市メダンを出て、南東方向に車を走らせるとその村は現れる。人口1350人のクブシンブラン村。村人の多くが、果物や野菜の栽培で生計を立てている農村だ。

 のちにインデックスケース(第一例目の患者)と呼ばれることになる女性プジ・ボル・ギンティン(37歳)は、この村の入り口近くにある木造平屋建ての家に、三人の子供と年老いた母親とで暮らしていた。

 プジが、最初に体の不調に気づいたのは、2006年4月24日のことだった。額に手を当てると少し熱っぽい。普段は、村で採れる野菜や果物を近くの市場まで運んで売るのが生業だが、熱と体の痛みのため、立ち上がることさえできなくなったという。
 自宅でビニール製のゴザの上に横たわりながら、プジは、次第に呼吸が苦しくなっていくのを家族に訴えた。陸にあがった魚のように口を大きく開け、呼吸しようとするが、酸素をうまく取り込めないのだ。

 看病には、ブジの19歳と18歳になる二人の息子と隣に住む妹(29歳)があたっていた。家族は、高熱が一向に下がらないブジを村の診療所に連れて行き、抗生物質やビタミン剤をもらい飲ませたが、少しもよくならなかったという。

 その数日後、ブジは呼吸困難に陥った。スマトラ島奥地の山間をぬう狭い道路を車で2時間近く走り、ブジは、メダンの私立病院へと運び込まれた。自力で呼吸できなくなっていたブジは、直ちに集中治療室へと担ぎ込まれ、人工呼吸器が装着された。だが、いくら呼吸器で酸素を押し込んでも、血液中の酸素濃度は下がったままだ。次第に唇や爪の色が紫色へと変わっていく。ブジの肺は、すでに酸素を受取る力を失っていた。さらに血管内に多数の血栓ができて全身の臓器が障害を起こす"DIC゛と呼ばれる症状も出始め、もう手の施しようがなかった。病院に運び込まれてわずか数時間。ブジは息を引き取った。医師は肺結核を疑っていたが、結局死因は不明とされた。

 インドネシアではこうした事態は、そう珍しいものではない。だが、このあと続いた異変は、世界中の専門家たちを震撼させるに十分だった。その異変は、ブジの死の翌日から始まった。

[異変の始まり]
 ブジが死亡した翌日の、2006年5月5日。村では、ブジの親族や親しい村人たちが集まり、葬儀が執り行われる手筈になっていた。この村では、自宅に遺体を置き、家族や親戚が集まって、数日間、大切な家族の死を悼むのが習慣だ。
 ブジの遺体もメダン病院からクブシンブラン村に送り返され、自宅の土間の上に横たえられた。本来なら参列者が、若い母親の死を静かに悼むはずだった。だが葬儀は、ブジの親族たちの身に現れた異変で、異常な事態へと変わっていったのだ。

 村で長年、医師替わりを務めている看護師のアレムは、その異変を目の当たりにしたひとりだ。アレムは最初、何がおきたのか良くわからなかったと話す。

 ブジの葬儀の日、アレムのもとに最初にやってきたのは、ブジの妹のアンタとその娘のレナタだった。アンタは、「頭がとても痛い。具合が、どんどん悪くなってきて治らない」とアレムに訴えた。1歳半になる娘のレナタも額に手を当てると高い熱が出ている。アレムは診療所の奥の部屋にあるベッドに横たわって休むよう促した。

 異常を訴える村人は、このあともさらに続いた。次に来たのは、亡くなったブジの二男ポ二だった。鼻から血を流している。「頭が痛い。体が熱い」。ポ二はアンタと同じ体長の異変を訴えた。かなりの高熱が出ている。さらに続いて、長男のロイもやってきた。ロイも高熱を出し、意識も朦朧として苦しいという。ふたりはアレムが抗生物質を手渡すと、再び母親の葬儀に戻っていった。だが翌日に行われた二日目の葬儀には、皆、出ることができなかった。ブジと同じように呼吸ができない苦しさに、立ち上がることさえできなくなっていたのだ。

 異常を訴える親族は、このあともさらに増えていった。ブジの弟ジョネス、そしてブジの甥のラファエル。わずか2日の間にブジの周囲で同じような症状を示す患者は、4家族わたり計6人にまで増えていったのだ。

 6人とも抗生物質を投与しても容態は回復せず、ブジと同じように次々と呼吸困難に陥っていった。息ができない、苦しいと訴える患者たちを前にアレムは恐ろしくなったと話す。もう彼女の手ではどうしようもなくなっていた。

 1歳半の女の子から29歳の女性まで男女あわせて6人が同じひとつの村から、しかも、同時に呼吸困難を訴えて運ばれてくるのはどう考えても異常な事態だった。それは、ある不吉な結論をスロソに突きつけていた。蛍光灯の光に照らし出された胸部X線写真は、その患者も胸の肺の部分が真っ白く濁っている。重い肺炎の症状だ。しかも、すりガラス状に曇るその白い影は、小さな病原体が肺の隅々にまで入り込んでいることを示していた。ウイルス性の肺炎とみて間違いない。スロソは鉛のような重い感覚が全身にのしかかってくるのを感じた。

「全員が高熱、呼吸困難を訴え、激しい咳が続いていました。重症の肺炎、そして白血球の減少が血液検査で確認され、鳥インフルエンザに間違いないと思ったのです」

 アンタに続いて、一人娘のレナタ、ブジの二男ボニ、そしてブジの甥ラファエルも次々と死んでいった。6人全員の体からは、鳥インフルエンザウイルスH5N1が検出された。H5N1による世界最大の集団感染の発生だった。

[遺伝子の交雑]
 鳥インフルエンザのH5N1は、致死率60パーセントという毒性の強いウイルスだが、ヒトからヒトに感染する力は弱い。一方、毎年ヒトの世界で流行を引き起こしているH1(Aソ連型)は、毒性はH5N1に比べれば格段に低いものの、ヒトからヒトに感染する力は極めて強い。
 この二つのウイルスが同じ人物に感染したとき、極めて危険な事態が起きる恐れがある。
 ふたつのウイルスが、互いに遺伝子を入れ替える交雑である。つまり、この交雑によってH5N1の毒性を受け継いだ上に、H1の感染力を持つ、極めて危険なウイルスが誕生する恐れがあるのである。実際、過去のパンデミックを振り返ると、1957年のアジアかぜ、そして1968年の香港かぜでは、こうした遺伝子の交雑によって新型インフルエンザウイルスが誕生し、大流行を引き起こしたとみられている。進藤は看護師がH1に感染していたという事実を知ったときの恐怖をこう語る。

「人間のH1ウイルスと鳥のH5N1型とが、同時に非常に至近距離で、発生しているわけですよ。こんなに近い距離でニアミスをおこしているということですよね。もう確率の問題です。私たちが恐れていたあの遺伝子の交雑がサイエンスフィクションではなくて、実際に起こりうることとして目の前につきつけられたんですよ。まさにあの場合は、本当にパンデミックの現場にいるんだなと。目の前で新しいウイルスが誕生するのを見てしまうかもしれないと思いました。」

「私たちは、いや世界はラッキーだったのです。あのH5N1のウイルスがヒトからヒトへと次々に感染する力を獲得しなかったのですから。しかし、次に大きな集団感染が起きたとき、また同じ幸運に恵まれるとは限らないのです」

[国の行動計画]
 日本の新型インフルエンザ対策は、世界的に見てもかなり早い段階から始まっていた。厚生労働省は、1997年に香港でH5N1が初めてヒトに感染する前から、専門家による会合を開き、新型インフルエンザ対策を始めているのだ。その後、数年のブランクはあったが、2005年には、国としての行動計画を策定した。

 この行動計画では、全国民の25パーセントが感染、うち2500万人が発症して医療機関を訪れ、最悪64万人が死亡するとし、ウイルス感染を防ぐためのプレパンデミックワクチンの原液製造、さらに治療薬となるタミフルの備蓄、また、学校の休校、大規模集会の自粛、国際線の旅客機の運航自粛など、国内での感染拡大を抑えるための対策の柱が示されている。

 しかし、日本の対策には、根本的な問題があると、厚生労働省の新型インフルエンザ対策専門家会議のメンバー、押谷仁東北大学教授は話す。
「日本の対策は、すべて中途半端なんです。どの対策を柱としてウイルスの感染拡大を防いでいくのか戦略がありません。厚生労働省が進める対策は、抗ウイルス薬やワクチンの備蓄など、国民や政治家に『これだけやっています』という公衆衛生学的な視点が欠落しているんです。このままだと、どの対策も有効に行えず、被害が広がるということになりかねないと思っています。」

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2008年10月19日 (日)

「ブラジル 巨大経済の真実」 鈴木 孝憲

[奇跡の高度成長と日本のプレゼンス]
 
 1960年代後半から70年にかけて、ブラジルは、”奇跡のブラジル゛といわれた高度成長を実現した。(70年代の年平均成長率は7.7% で、7年間10%を超える成長が続いた)。この時代にブラジル産業界は重化学工業化(バイーア州のカマサリ石油コンビナートなどを完成)を実現したが、73年と79年のニ度の石油危機で、成長を支えていた原資の外貨借り入れがままならなくなり、82年にはモラトリアム状態に陥り(このときは中南米のほとんどの国が同時にもらトリウムに入った)、対外債務問題が表面化した。

 しかし、この時期に、ブラジルの資源が世界から注目を浴びた。日本も資源確保の見地から、ブラジルの大型ナショナルプロジェクトに官民で参加した。アマゾン・アルミ・プロジェクト、カラジャス鉄鉱山開発、ツバロン製鉄所建設、セラード農業開発プロジェクト、セニブラ日伯パルプ資源開発等であり、一国でこれだけ次々と大型プロジェクトに協力した例は、ブラジルの歴史でもこのときの日本だけである。

 この時代、高度成長のブラジルに対する外資の第二次進出ブームが起こり、日本企業も二輪車、食品、化学・石油化学、建築、機械、保険、銀行、繊維などの業種に進出した。ブラジルは、この時代、新興工業国(NICs=韓国、台湾、香港、シンガポール、メキシコ、ギリシャなど10カ国)のトップにランクされていた。1970年代の最後の頃には、ブラジルに進出している日本企業の数は500社を超えていた

[ハイパーインフレとモラトリアムで失われた10年間]
 しかし、1985年3月に21年続いた軍事政権からの民生移管が行われると、政治家たちが発言権を増し、収入のあてのない予算支出を続々と増やした。そのため、それまで軍事政権がインテグセーション(通貨価値修正)を使いながら何とか年率200%ぐらいで水平飛行されていたインフレがあっという間にハイパー化し、ブラジル経済は混乱し始める。
 1986年2月にはハイパー・インフレ抑制のための物価・賃金・為替を凍結する「クルザード・プラン」が実施され、一瞬インフレはゼロになったが、すぐに再燃してさらにひどくなっていった。86年から91年までに五回、物価・賃金・為替の凍結策が実施されたが、90年3月のコロール政権スタート時には預貯金まで封鎖するショック療法がとられ、企業は売上金を封鎖されて給与などの支払いができず、年金生活者は生活費を封鎖されるなど国中が大混乱に陥った。

[ハイパー・インフレ収束ですっかり変ったブラジル]
 ブラジル経済を根本から変えたのは、1994年7月に導入されたインフレ抑制策の「レアル・プラン」だった。同プラン導入直前のインフレ率は月間で50%で年間3000%近かったが、このハイパーインフレが経済の緩やかなドル化を骨子とする「レアル・プラン」で見事に収束したのである。
 1993年5月に蔵相に就任したカルドーゾ(全大統領)は、なんとかこのパイパー・インフレを収束させる手はないか模索した。ハイパー・インフレの最大の原因は国民の自国の政府と通貨に対する信頼の喪失にあるが、ものすごい原価通貨のハイパー・インフレも米ドルに換算してみるとインフレはほとんどない。そこで通貨を米ドルにリンクさせて経済のゆるやかなドル化を実施してみてはどうか、というアイデアが出てきた。

 1993年12月、カルドーゾは「レアル・プラン」の骨子を発表。国民に対してプランの詳細を事前に説明すること、抜き打ちの物価凍結等は絶対に行わないことを約束して協力を要請し、この約束を最後まで守った。

[世界一、恵まれた国]
 西暦1500年のポルトガル人たちによるブラジル発見以降のブラジルの歴史をみると、この国の経済を支える農産物や鉱物資源が次々に出現していることがわかる。ブラジル発見当初はメキシコ以南のスパニッシュ・アメリカ諸国と異なり、ブラジルには金銀財宝はまったく見当たらず、ポルトガル人たちをがっかりさせた。唯一、紅い染料のとれる〝ブラジル"と呼ばれる木だけが金目のもので、ポルトガル人たちは土着のインディオにこの木を伐って海岸まで運ばせてポルトガルへ持ち帰り、アニリン系の化学染料が出現する以前のヨーロッパの宮廷では紅いロープなどに使われ、貴族たちに珍重されたという。そしてこの木の名前から現在の国名「ブラジル」がつけられたが、これだけではどうしようもないといので、ポルトガル人たちは北大西洋のアソーレス諸島からサトウキビをブラジルに持ち込んで植えた。サトウキビからとれる砂糖は瞬く間に国を支える貴重な農産物となり、現在もブラジルは世界一の砂糖の輸出国だ。

 コーヒーもオランダ領ギアナ経由でブラジルに入ってきており、ブラジルはその後世界一のコーヒー生産国となった。次いでゴム、胡椒もブラジルの特産品になった。ゴム景気で20世紀初め、アマゾンの密林のど真ん中にあるマナウスを大いに栄え、いまでも当時建てられたオペラハウスが残っていて往事を偲ばせている。
 胡椒(ポルトガル語でピメンタ)は日本人移民がブラジルに向かう途中のシンガポールに船が寄港したときに仕入れた種を持ち込み、アマゾン流域で試行錯誤の末についに栽培に成功したものだ。最近では大豆もブラジル経済を支える代表的な農産物となっている。

[無尽蔵の地下資源]
 ブラジル南東部に日本が経済協力して建設されたウジミナス製鉄所があるミナス・ジェライス州がある。ミナス・ジェライスとはあらゆる鉱物資源がとれる鉱山という意味だ。ブラジルにはないと思われていた金が17世紀にこのミナス・ジェライス州でとれるようになり、ブラジルもゴールドラッシュの時代が訪れた。
 
 ブラジルの輸出の代表産品の一つである鉄鉱石もまずミナス・ジェライス州で産出した。同州では鉄鉱石のほかにもマンガンなどの非鉄金属、金、ダイヤモンド、アメジストなどの宝石類やウラン等まで産出されており、ミナスの山々はすべて鉱物資源の鉱床といわれている。

 鉄鉱石についてはアマゾンのカラジャス鉄鉱山もある。1970年代のある日、アマゾン上空を偵察飛行中の空軍機に乗っていた将校が森林地帯の一か所に樹木のまったく生えていないところを見つけて調査したところ、純度60%を超える鉄鉱石の山が露出していた。これがカラジャス鉱山の始まりだ。この鉱床の埋蔵量は当時、自由世界の需要の500年分を賄えるといわれた。産出される鉄鉱石はマラニヤウン州イタキ港まで960キロメートルを鉄道で運ばれ、日本向けを含めてすべて輸出されている。このカラジャス開発プロジェクトには日本が経済協力を行ったが、これらの鉄鋼石の産出現場から山並みを越えて鉄鉱石を運搬するベルトコンベアや、電気機関車が100両以上の貨車を引っ張って港まで運ぶシーンは、日本人には想像もできない壮大さだ。

 まだある。アマゾンのボーキサイトだ。これも日本が経済協力して現在、アマゾン・アルミ・プロジェクトとして稼働しており、日本にもアルミニウムを輸出している。

[ついに出た石油]
 80年代初めまで出ないといわれていた石油が(当時、ブラジルの石油自給率は15%レベルで、残りは輸入に依存していた)、その後、リオ・デ・ジャイロ近くの海底で次々に発見され、海底油田掘削技術(現在、ブラジルが世界一)の開発と進歩のおかげで、2006年にはついに石油自給率(この時点の石油消費量は日量190万バーレル)100%を達成している。その後も新なた石油や天然ガスの鉱脈が次々に発見されており、近い将来、ブラジルは石油の輸出国になるであろう。 
 
□今日の読書 ★★★★★

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2008年10月17日 (金)

「日本の諺・中国の諺 両国の文化の違いを知る」 陳 力衛

[腐っても鯛(くさってもたい)]
 
 日本人は昔から海の鯛、川の鯉、鳥の鶴を食物の三尊と呼んでいた。そして、マダイは目出度い魚とされ、祝いの席に供される。「魚は鯛、人は侍、木は檜」のように大変すぐれた価値を持つものとして先人の評価が込められている。その鯛が少々腐っても、「本来優れた価値を持つものは、おちぶれてもそれなりの値打ちがある」というわけである。
 一方、中国にも同様に「痩死的駱駝比馬大(痩せ細ったラクダであっても馬よりは強い」という言葉がある。砂漠という過酷な環境下では、どんなに痩せ衰えたラクダでも馬とは比べ物にならない程の力と忍耐強さがあるという砂漠地帯特有の知恵を盛り込んだ諺である。中国の明清小説にもよく使われたこの諺は、漢民族の文化に由来するのではなく、明らかに西域の自然から生まれたものと言えよう。

[猫に小判]

 動物を題材にした諺は、どの言語にも多くみられる。動物に人間の言いたいことを代弁させるのは、それだけ人間の日常に動物が密着していることの証とも言えよう。
 この諺もそうだ。周知のとおり「客観的にどんな価値のあるものであっても、そのことのわからない人にとっては何の役にも立たないこと」がその意味するところである。結局、猫を引き合いに出しながらも、人間のことを言っているのだから滑稽である。
 「豚に真珠」は聖書に出てくる「Don't cast pearls before swine 真珠を豚に投げてはならない」から変わってきたものだから、洋の東西を問わず動物を見下していることがわかる
 中国では、「対牛弾琴」人を助ける働き手として不可欠で実用的な牛・馬などの大型の動物を使っており、西洋では、それらの中間の大きさの豚を使っている点が特徴的である。

[一石二鳥]

 この言葉は中国由来ではなく、英語「Kill two birds with one ston」を直訳した和製漢語である。
 ただ、この種の喩は中国にはいくつもある。ヨーロッパでは石で鳥を撃ち落とすのに対して、中国のほうは「一箭双雕」という、一本の矢で獰猛な鷹二羽を射落とす相応の表現がある。モンゴルの英雄譚によく出てくるチンギスハンもそれを成し遂げているという。

[疑心暗鬼]
 
 中国春秋時代の『列子』にはこういう話がある。ある男が斧をなくした。男は隣の息子が盗んだのではないかと疑った。隣の息子を観察してみると、歩き方も顔色や言動もいかにも斧を盗んだように見える。のち、男が自分の窪地を掘り起こしていたら、偶然なくした斧が出てきた。後日、また隣の息子を観察してみると、動作や態度に怪しい点はなくなっていたという。

 中国語では、宋の時代から「疑心生暗鬼」や「疑心生鬼」などの形で使われていたが、のちに「疑神疑鬼」のほうが主流となる。明代の『農政全書』に「壒妄信流傅謂氣所化是以疑神疑鬼甘受戕害(世のうわさをいたずらに信じ、疑神暗鬼して害を甘んじて受けることになる)」の例がある。

 形態的には現代中国語の「疑心暗鬼」に比べて、中国古典の形を受け継いでいるのはむしろ日本であろう。同音異形の「阪神半疑・疑神暗鬼は毎度の事」のような使用は野球ファンの焦りと苛立ちを活写しいるものとして言い得て妙なところであろう。

[難兄難弟]
日 実力が拮抗し、優劣の判断がつきにくいさま
中 肉親以上に固い絆で結ばれた男の友情

[鶏鳴狗盗]
日 つまらぬ芸でも役に立つことがある
中 コソ泥や人だまし

[呉越同舟]
日 他人と居合わせること
中 敵味方が協力して共通の目標を目指す

[朝三暮四]
日 人をだますこと、生活の糧
中 ぐるぐる変わりやすいこと

[天衣無縫]
日 純粋で無邪気な性格
中 物事が完璧なさま

[八面玲瓏]
日 表裏なく美しいさま
中 八方美人、独自性のない人

[万事休す]
日 絶体絶命の窮地、おしまいだ
中 何事もなく、すべてを忘れる

[風流韻事]
日 詩歌、書画、華道、茶道などの風流な遊び
中 男女の色事、ロマンチックなこと

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2008年10月15日 (水)

「知ったかぶりで恥をかく常識のウソ」 常識のウソ研究会

[アラビア数字はアラビア生まれではない]
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  「1、2、3」というアラビア数字(算用数字)は、アラビアという名前だがインド生まれだ。インドで発明された数字が北アフリカからスペインを経由して、12世紀頃アラブ人により、ローマ数字(I、Ⅱ、Ⅲ)に対応してつけられたものだ。しかしアラビア人は、現在でもこの数字を「インド数字」と呼んでいる。
 アラビア数字の元となっているのがインド数字で、アラビア人は、アラビア語とともに、こちらを主に使っている。

*

*

[乾電池を冷蔵庫に入れると長持ちするというのはウソ]
 乾電池の保管方法として昔からよくいわれているもに「冷蔵庫に入れるとよい」というのがあるが、これは間違った方法だ。
 以前は、乾電池の自己放電(使用しなくても勝手に放電すること)を抑えるために、冷蔵庫など低温の場所へ保管するのがよいとされていたが、技術が進んで自己放電の量も減った現在の乾電池なら、常温保存でも十分だ。冷やしすぎると結露がつき、錆びやショートの原因となるので、冷蔵庫は避け、直射日光の当たらない場所に保管しておくとよいだろう。

[早朝の運動が健康にいいというのはウソ]
 健康維持のため、ダイエットのため、早朝にジョギングしている人をよく見かける。一日の始まりに体を動かすとすがすがしい気分になるし、体があたたまっていいともいわれる。また、朝しか運動する時間がなかったり、女性が夜公園などで運動するのは危なかったりと、朝でないと運動できない人もいるだろう。
 しかし、早朝に運動をするのは、実はよくないことなのだ。
 起きたばかりの体は、免疫力が低下していて、細菌に感染しやすくなる。また高齢の人や高血圧の人は心筋梗塞を起こしやすいので、避けたほうがよい。特に冬の早朝は、寒さで心臓に負担がかかりやすい。どうしても朝、運動するのであれば、起きてから1時間ほど経ってからするようにしたい。

[果物は太らないというのはウソ]
 「果物は甘いけど水分が多いので太らない」といわれている。
 これは半分正解で半分間違い。正しく摂ればダイエット効果も上がるが、果物なら何をいつどれだけ食べても大丈夫というわけではない。
 果物に含まれる甘みは「果糖」という糖分で、これは糖類の中でも最も甘みが強い。水っぽいのに甘いのはそのせいだ。
 他の食材が分解や消化を経てエネルギーに変わるのに対して、果糖は直接エネルギーに変わるため、早く疲労回復したいときには有効だ。スポーツドリンクの成分表示にも「果糖」の文字を見つけることができる。

 しかし、果糖やブドウ糖は消化も早く、食事と一緒に果物を摂ると、食事で摂取した脂肪分や脂分と結合して、体に吸収されやすくしてしまう。食後のデザートに果物を食べる人も多いと思うが、これはできるだけ控えたほうがよいのだ。食べるなら朝食で摂るようにするとよいだろう。
 また、バナナやパイナップルなど温かい地方で取れる果物は高カロリーなので、太りやすい。食事とバランスを考えて摂るようにしたい。

[世界標準時を計る時計が、現在もグリニッジにあるというのはウソ]
 世界の時刻の基準となっている場所、それがイギリスのグリニッジだ。グリニッジ天文台を通る子午線が経度0度であり、そこを基準とした時刻を「グリニッジ標準時(GMT)」と呼ぶ。日本とグリニッジの時差は約9時間で、日本が深夜12時のとき、グリニッジは前日の午後3時になる。
 ここまではだれもが常識として知っていることだろう。
 しかし、この標準時が現在グリニッジで観測されていないということは、意外と知られていないのではないだろうか。
 現在はパリにある国際度量衝局の原子時計が刻んでいて、正確には「グリニッジ標準時」ではなく「世界標準時(UTC)」と呼ばれている。
 元々、「グリニッジ標準時」が決められたのは、1884年ワシントンで行われた国際子午線会議でのこと、ここでグリニッジ天文台を通る子午線を0度と定め、標準時を刻む時計が設置された。
 その後1954年にロンドンの大気汚染を回遊するため、時計台をサセックスという郊外の街へ移転させた。
 しかし、イギリスはカナリア諸島に設置された新型の望遠鏡に多くの資金を費やしていたため、20年の耐用年数を過ぎた原始時計6台を新しく買い替えることができなくなってしまった。
 そこでフランスが費用を肩代わりするかたちになり、時計台をパリに移して、現在に至っているというわけだ。

 
□今日の読書 ★★★★☆

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2008年10月13日 (月)

「異形の大国 中国―彼らに心を許してはならない」 櫻井 よしこ

[歴史を捏造する国]

 たとえば南京事件である。南京事件は大虐殺だった、虐殺は存在しなかった、否、真実はその中間にあるというふうに、意見は大きく三分される。学者たちの間では、中国の学者も含めて、近年になってようやく、30万人虐殺はあり得なかったとの認識が広がりつつある。とは言いながらも、尚、決着のついていない同事件について、国民への正しい教え方は、意見の分かれている現状を教えることだ。しかし、中国政府は、30万人が虐殺されたと一方的に主張し、記念館を建設、生々しい展示を続ける。歴史問題で繰り返し非難される日本人は、中国の主張する"南京大虐殺30万人説"がどのように構築されたかを、よく知っておくべきだ。

[凄まじい中国の人権弾圧]
 アーキン氏は人権を守るための国際組織「アムネスティ・インターナショナル」の報告を紹介した。
「2001年9月11日から2005年までに、ウイグル族3000人が逮捕され、200人が政治犯として獄につながれ、50人が処刑されたと報告されました。ウイグル族は1000年以上もの間、東西の文明を融合させてきた民族です。シャーマニズム、仏教、キリスト教、イスラム教を共存させ、異なる宗教も異なる民族も全て受け入れてきました。その文明の融和のなかで、中国が侵入するまでは、我々は完全な独立国でした。
 それがなぜ、いま、テロリストとして弾圧されなければならないのか。東トルキスタンを踏みにじり続ける中国政府の責任を厳しく追及します」

 ネパールのカトマンズで「チベット機構」を主宰するツェテン・ノルブ氏も烈しく中国を非難した。
「我々は第二次世界大戦終了まで明確に独立を維持していました。しかし、中国は1949年の建国直後にわが国に軍事攻撃を加え、59年には大弾圧を開始。以来、我々は主権を奪われ、従属を強いられてきたのです。

[論外の中国案、ガス田共同開発]
 東シナ海の天然ガス田をめぐるせめぎあいで、日中両国が展開する外交は、あまりにも対照的だ。
 たとえ相手をだましてでも目的達成を目指す勢力と、相手を信じたいと虚しく切望する勢力が相対すれば、敗れるのは後者だ。この場合、前者は中国政府。後者が日本政府であるのは言うまでもない。
 2006年3月7日に終了した第4回日中政府間協議での、中国側の提案は予想通りだった。彼らの提案した共同開発は2か所である。1か所は日中中間線から深く日本側に入った尖閣諸島北の海域だ。流石に尖閣諸島から12マイルの日本の領海には入り込んでいないが、それでも日本側排他的経済水域(EEZ)の真っただ中だ。
 もう1か所は、現在中国が開発を進めている白樺(中国名・春暁)、楠(断橋)、樫(天外天)など一群のガス田の北、日韓大陸棚にかかるこれまた中間線より日本側のEEZだ。

 日本が前もって中国に要求していたのは、①白樺と楠など、明確に中間線を跨いでいるガス田の共同開発、②それ以外については中間線の各々の側で双方が独自に開発する。③共同開発についての合意が成立するまでは、中国は白樺、楠の各ガス田での作業を中止する、だった。
 中国はこれらすべてを拒否し、日本側海域のみでの共同開発を提案し、厚顔にも「東シナ海を平和の海にしたい」と言ってのけた。
 

□今日の読書 ★★★★☆

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著者:櫻井 よしこ
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2008年10月11日 (土)

「逃げ出すための都 新東京物語」 林秀彦

[三銭の恋文]

 父、林謙一は、この坂のはす向かいの高台、桜田町に住んでいた。
 父の家系も軍人で、謙一の母親の名は、はな、ご年配の方なら記憶にあるやも知れぬNHKの朝の連続小説「おはなはん」のモデルとなった女性だ。原作は謙一の随筆である。
 この私にとって祖母は四国出身、蜂須賀家の持つ藩船の船頭の家系だったと聞いている。おてんば娘だったはなは軍人の祖父と結婚、東京千駄ヶ谷に住み、父を生んだ。
 その意味で、私は生まれつきの“江戸っ子”とも言える。東京三代目だからである。

 おはなはんは琴の師匠として生計をたてていた。
 明子は隣町の霞町からこの桜田町の家に弟子入りした。師匠の息子のモボと、弟子のモガは、一目で恋におちた。

 この時代、「東京市麻布区桜田町七十番地」から「霞町一番地」の間を行き来した二人の恋文は、いま私の手元に山ほど残っている。どれも朱色に菊のご紋章だけの三銭切手が貼られている。

 作家を志した新聞記者だけあって、謙一は筆まめで、このラブレターだけでなく、従軍記者として派遣された大陸戦線や、その後は海軍司政官として赴任したセレベス、ジャワなどの島々からせっせと明子に手紙や葉書を書き送っている。敗戦後も、旅先などからほとんど紀行文の随筆と言ってもいいような手紙を書いた。
 それらの三百通にも近い古い手紙の束を、明子は夫の死後焼却しようとした。理由はよくわからない。危機一髪という感じで、私が貰い受け、引き取った。
 どれもが万年筆の筆跡だが、何よりもその達筆に腰を抜かす。一字一字が芸術品のような手紙である。

 昭和八年の三銭の手紙を、一部書き写してみよう。五月十八日の日付。
 謙一は二十七歳、明子は十七歳の初夏である。

 「明子
 昨日は明子のお稽古の日。その後でお兄様の部屋にこっそり忍び込み、机の引き出しを開けていつものように手紙を受取ってくれたことでしょう。明子が嬉しいようにそうしたのですが、それでいて、もうまた別のお手紙を書きたくなっています。
 毎日明子にどうしても会いたいのです。
 御用は何もないけれど、ただ会いさえすれば。
 お家ではどうしていますか。学校は?
 昨日は、お兄様は五・一五事件の一周年の記事で忙しく、帰りは遅くなったのですが、材木町でバスを降りて、どんなに反対の霞町の横丁へ曲がりたかったことか。しばらく立ち止まって見つめた横丁には、白い霧が立ち込めていました。
 いつも明子の全部のお兄様より、お兄様の全部の明子へ」

[逃げ出すための国]
 妻はわたしより20年も若い。この年齢の差は、一方が老いれば老いるほど重みを増す。十三年前、オーストラリア移住を決意したとき、若い彼女の意志はほとんど無視された。同意と賛意はあり、無理やりでなかったにせよ、その決定はほとんど私の"都合"だったのである。しかし、時の過ぎ去ったいま、単純な話、私の死後妻が一人でこの不人情な異国で暮らしていくことは考えられない。東京には彼女の年老いた両親がまだ健在である。私が死んだ後まで、私の"亡命゛の付き合いをすることはない。
 節子はある日、天使のように私の前に現れ、私の命を救ってくれた。その頃私は肉体的にも精神的にもぼろぼろで、死神と同棲していた。

 「私の命の半分をあげます」
と彼女は、彼女の東京のマンションの一室に転がり込んだ、半分以上"死に体"の私に言った。
 「なぜ全部じゃなくて、半分なんだ?」
と訊いた私に、節子は微笑みながら答えた。
 「全部あげちゃうと、あなたを助ける人がいなくなってしまうでしょ。」

 また、こうも言った。
 「あなたを愛しているとは言いません。でも、あなたを理解しているとは言えます。愛はいつか色褪せたり、消えてしまったりするかもしれないけれど、理解はずっと生き残り続けるから」
 
□今日の読書 ★★★☆☆

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2008年10月 9日 (木)

「仏塔の風景―心のふるさとを訪ねて (GAKKEN GRAPHIC BOOKS―美ジュアル日本)」 長谷川 周

[相輪ギャラリー 天空美術館]

2  仏塔の最上層の屋根に屹立する相輪。相輪は仏塔のルーツであるストゥーパ(墳墓)を象徴している重要な部分で、下から「露盤(ろばん)」「伏鉢(ふくばち)」「請花(うけばな)」「九輪(くりん)」「水煙」「竜車」「宝珠(ほうじゅ)」と呼ばれる部分で構成されている。

 同じように見える相輪だが、よく見ると微妙に違っている。特に水煙は意匠が凝らされる部分だ。火炎形が一般的だが、薬師寺東塔の水煙は、空飛ぶ天女(飛天)と雲が象られた優美なもの。水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と宝蓋(ほうがい)を組み合わせた室生寺の例もある。空を見上げて、それぞれの細工を堪能してほしい。

*

*

[薬師寺]
Photo  天平文化が花開いた日本有数の古寺
 古代建築の最高峰とも称される三重塔
 世界遺産に登録されている薬師寺は、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため、飛鳥の藤原宮(現・橿原市木殿)に伽藍を建て、薬師三尊を祀ったのが始まりといわれる。天武、持統、文武と親子三代の天皇によって完成された、我が国でも屈指の名刹である。その薬師寺の景観を決定しているのが、シンメトリーを描く新旧二塔jなのだ。
*
*

 明治時代に来日したアメリカの東洋美術研究科、アーネスト・フェノロサは、この東塔を見ていたく感動し、「凍れる音楽」と賛辞を残したのは、有名な話だ。

 この塔の特徴は何といっても、三重塔といいながら、各重に裳階(軒下に造られた庇状のもの)を付けて六重塔のように見せている奇抜な設計にある。フェノロサはこの独特の屋根の重なりに音楽的なものを感じたのだろうか。塔のスケールも、一辺の大きさが7m、裳階部分はでは10.5m、高さも34mを越え、三重塔ながら五重塔クラスを誇り、あたりを睥睨するような圧倒的存在感がある。

[教王護国寺]
 世界に誇る観光都市、京都のシンボル
 約55mと日本一の高さを誇る五重塔
 平安京の鎮護のために、延暦15年(796)に羅生門のと東西に造営された大寺院の一つで、弘仁15年(824)、嵯峨天皇より弘法大師に勅賜され、名を教王護国寺と改められた。以後、高野山と並んで真言宗の根本道場として栄え、現在も、4棟の国宝建築、10塔の重文建築、不動明王坐像、毘沙門天立像などの国宝を擁する日本屈指の大寺院である。
 日本における最高最大の木造塔で、その高さは55m。和様復古調の塔は、名工・中井大和の手によるもので、基壇の上に堂々と建っている。初層内部の須弥檀には、東西南北を向いて、脇侍を従えた尊像が4体安置されている。また、扉の内側に護法八祖、連子(れんじ)の内側に真言八祖、四天柱に曼茶羅尊象が描かれるなど、内部の装飾は壮麗。
  
□今日の読書 ★★★★★
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2008年10月 7日 (火)

「データブック貧困 (岩波ブックレット NO. 730)」西川 潤

[現代の貧困とは何か]

 アメリカの経済雑誌「フォーブス」が毎年三月に発表している世界億万長者番付(10億ドル以上の所得者)の上位三人は、各600億ドル程度の資産を持っているが、トップの投資家バフェットの資産は2007年中に100憶ドル(1兆円強)ふえたという。金持ちは黙っていても資産がどんどん増えるが、他方では多くの人はエネルギーや食糧価格の値上がりで厳しい生活を余儀なくされ、非正規雇用のフリーターも増えている(約200万人程度)。その中で、いくら働いても自分や家族の生活を支えるのに十分でない「ワーキングプア」(2006年7月、12月にNHKスペシャルがこのタイトルで報道を行い、注目された。約400万世帯(1000万人)がこの層に入るとみられている。

 日本でもグローバルマネーの流入する東京では「一点集中」型再開発で高層ビルの林立する地区が増えているのに対し、地方の中小都市では町の中心の商店街が寂れてシャッターを占めきりにする「シャッター通り」がふえていることも、私たちのよく見聞きする光景である。
 経済の活力が特定の場所に集中し、反面、沈滞地域がふえていることが、貧富の格差と結びついて、わたしたちにとって貧困を他人事ではすまされなくしている。

 現在(2008年)、日本の一人当たり所得は3万6000ドル(約400万円で、4人家族だと1600万円の収入になるが、その"豊かさ"はどこに行っているのだろう? という疑問はさておいて)で、理論的にはすべての人が相応の暮らしを営めるはずである。
 ところが現実には、1998年から2007年までの10年間に、生活保護世帯(自立できないがために3人家族で月額15万円程度の公的扶助を受ける家庭)は約70万世帯から100万世帯へと、約5割増えている。

 これらはいずれも第一に述べた貧困化の問題である。
 ところが、私たちの身の回りの貧困はもうひとつ別の形で現われている。

[第二の貧困]は、日本経済が第二次大戦後の半世紀、生産力と輸出を大きく拡大して、国民の間にある程度高い生活水準をもたらしながらも同時に派生した、新しい貧困である。
 アメリカに次ぐ世界屈指のこの豊かな国で、16~34歳の若年層の間で、学校にも行かず職にも就いていない「ニート(Not in Education, Employment and Traning:NEET。この言葉は1990年代初めにイギリスで生まれた)と呼ばれる若者が増えている。厚生労働省(2006年版)ではその数を約64万人と見積もっているが、約100万人というNPO等の推定もある。
 

□今日の読書 ★★★☆☆

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著者:西川 潤
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2008年10月 5日 (日)

「わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL」 村上

[貯金をするのがバカバカしい気がします。いまを楽しく過ごしたほうがいいとおもいませんか?]

 べつに悪くないと思います。ただ、昔インタビューした、F1レーサーがいった言葉で忘れなれないことがあります。当時彼は22~23歳。ようやくF1の世界にたどり着いたばかりで、テストドライバーとしてとても苦労していた彼には、女の子とデートする時間もなかった。で、「僕の年だったら、女のコとビーチで遊んだり、おいしいご飯を食べにいったりするのが楽しいに決まっている。でももしF1で優勝することができたら、その喜びは何カ月も何年も続くんじゃないか。僕はそれが欲しいんです」と言っていました。

なんて健気な若者なんだと思ったけど、このことは誰にでも当てはまるような気がするんです。彼氏と高級レストランでおいしいものを食べて、素敵なセックスをして「よかったわ」と思うのも大事なことです。大事なんだけど、それを続けるのはやはりリスクがある。たぶん人間は、そんな思い出だけでは生きていけないんです。
[最近、生きることに虚しさを感じるのです……]

 それはギリシャ時代からみんなが考えてきて、いまだに答がわからない問題です。ということは、あまり考えても仕方がない、と。
 考えるのが悪いという意味ではないんですよ。だらだらと生きてないからそういう疑問がわいてくるのだから、疑問を持つ人は、きわめて正常な神経の持ち主だと思います。「虚しい」と思うから、そう思わないように仕事に励んだり、人を好きになったり、音楽を聴いたりする。

 何度も言いますが、悩みを持つことは正常なんです。「自分に悩みがあることが異常なんじゃないか」と考えてしまうのがよくない。悩みというのはあまり他人に見せるものではないので、よくわからないけど、50年生きてきた経験で言うと、たいていの人は悩んでいます。エディ・マフィーだって、たぶん私生活では悩んでいる。

□今日の読書 ★★★★★

わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL Book わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL

著者:村上 龍
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2008年10月 3日 (金)

「ぼくはオンライン古本屋のおやじさん」 北尾 トロ

[古物商の許可を取得する]

 サイト作りを進める合間にしなければならないことに、古物商(書籍商はこれに含まれる)の許可取得がある。これがないと、古本を売ることはできても、個人から買い取るをすることはできない。
 申請先は所轄警察署の防犯課。場所が分からなければ交番で教えてくれる。申請するには、電話してアポイントを取り、必要書類をもらうのが先決。そのあたりは担当の人がちゃんと教えてくれるので心配いらない。

 ぼくは所轄の荻窪警察署に出向いたが、素人だと告げると、興味深そうにいろいろ話を聞かれた。オンラインビジネスのための古物商取得者が急増している割に、内情がわからなくて勉強中だと言っていたので、情報収集の意味もあったと思える。警察署でもいろいろで、運が悪いと2時間以上もネチネチと説教混じり説明をうけなければならないこともあるようだ。
 警察署でくれる書類は許可申請書、経歴書、誓約書。これに住民票と身分証明書、賃貸契約書の写し(自宅で営業する場合は不要)をプラスして、再び警察署まで行き、提出。前科があったり、禁治産者であったりするとキビシイようだが、それ以外はたいていスムーズに取得できる。

[足りない本を補充する]
 暇を見つけては店頭を物色する毎日が始まる。狙い目は均一本コーナー。掘り出し物が見つかれば、利益を乗せて売ることができるからだ(セドリという)。うまく発見できることもあれば、何ひとつ収穫できないこともある。でも、集中して大量の本を見ることで商品知識は増える(ような気がする)し、購入する本の一冊一冊が、ぼくの店の血となり肉となるのだと思うと、これまでとは別世界に見えてくるから不思議なものだ。

[古本屋に熱中している理由]
①自力で事業を興す楽しさがある。興した以上は繁盛させたいという思いがある。

②それが古本屋であるということ。古本屋であるがゆえにさまざまな本に触れられ、読む機会が増える特権があること。

③売れるようで売れず、売れないようで売れ、しかもいつ売れるかわからず、売れると単純に嬉しくなってしまうオンラインの魅了。

④リピーターが出てくるようになるとそれなりのコミュニケーションが発生する。つまりそれが顧客情報ということなのだが、それらや売れ筋を見て、どんな本が必要か、どうすれば手に入るかなどを考える楽しみがあること。

⑤仕入れという越えなければならない難問があり、それをクリアしていい本を仕入れたときの快感がある。

⑥それらすべての結果として目録が微妙に変化し、うまくやれば反応が返ってくる点。現金収入。

http://www.vinet.or.jp/~toro/

□今日の読書 ★★★★☆

ぼくはオンライン古本屋のおやじさん Book ぼくはオンライン古本屋のおやじさん

著者:北尾 トロ
販売元:風塵社
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2008年10月 1日 (水)

「医療格差の時代」 米山 公啓

[平等医療の崩壊]

 コムスンは介護事業に330億円の巨額投資をして、235億円の損失を出した。
 もちろんコムスンに道義的な責任はあるが、それ以前に介護事業というものが構造的に利益が上げられないものになっていたともいえる。
 ケアマネージャーという仕事の採算性をもれば、いかに医療業界で医者がいろいろ利権や権限を持ち、他業種からの参入を嫌っているかがわかる。
 医療のなかに市場性を持ち込まない理由が、医療を守るためというだけでなく、そこには医者の利権や権限を守りたいという意味が込められているのだ。

[日本で病院の自由競争が始まるか]
 これは株式会社化によって、経営責任者が医者ではなく企業家の手にゆだねられるということだ。
 もっとも懸念されることは、外国資本の登場である。海外とくにアメリカの巨大なチェーン病院は、病院の吸収拡大をやって、巨額の収益を上げてきた。
 アメリカでも株式会社が経営している病院は全体の10%ぐらいである。しかし、そこには、徹底した利潤追求がある。「バンパイア(吸血鬼)効果」ともよばれていることで、チェーン病院に吸収されると、健全な病院だったものが、利潤追求を求める病院に代わってしまうのだ。

 テネット社とアメリカ有数の病院チェーンは、売上は1兆7000億円、利益が1200億円という。その利益のあげかたはすさまじい。競合相手の病院を買収して閉鎖し強引な寡占化をしてから、競争相手をなくし、高額な医療費で医療を行って、他に病院がないので患者は来るという仕組みを作ってしまう。看護師を辞めさせ看護助手という無資格者を雇い、不採算部門の科を閉鎖していく。究極は、病院ぐるみの不正請求である。

[巨大な研究開発費の裏側]
 ひとつの新薬をつくり出すには金がかかる。膨大な研究開発費がかかるので、そのコストを薬価(医者が使う時の薬の値段)に繁栄して、投資した資本を取り戻す仕組みになっている--。これは製薬会社の常套句だ。
 しかし、それは疑わしいと指摘する人もいる。

『ビッグファーマ』の著者マーシャ・エンジェルによれば、製薬会社の研究開発費には、かなりの嘘があるという。

 数百億円といわれる研究開発費は、実際の研究開発とは関係のない金も入っていて、税金逃れに使われているという。研究開発費のなかで第Ⅳ相臨床試験は販売促進の巧妙な戦略ではないかと指摘している。
 新薬開発はお金がかかるから、製薬会社はなかなか儲からないというようなことを言われていたが、実際はそんな単純なことではなかったようだ。ひとつの例として、高額な研究開発費とみせかけているのだという。

 医薬業界で、医療費の抑制政策が続き、医者の収入、病院の収入も減っていながら、なぜ製薬会社だけが収益を上げ続けているのか。このことを指摘する人はあまりいない。
 前述したように、収益が上がってくれば、経費を使うために講演会なども頻繁に行われるのだろう。


 かたや、同じ医療業界に身をおいている医者は、給料が上ることもなければ、労働条件が改善されることもない。いまの医療産業は、非常に偏った利益配分だといえるだろう。
 以前は製薬会社から医者に、ある意味では利益の還元がなされてた。「症例報告」や「ケースカード」といわれるものを介して、医者に現金が渡っていたのだ。ところが、こうした慣行が業界の規制により行われなくなったために、製薬会社だけに金がストックされる仕組みができあがった。

[EMBという御旗]
 薬の投薬や治療を行うときに、本当に効果があるかどうかを調べることは非常に難しい。ある人にAという薬が効いたからといって、すべての人に効くとはいえないからだ。
 健康食品などは経験的に効くという理由で多くの人が使っているが、その効果を科学的に証明するためには、たくさんの人に長期間にわたって処方し、効果を統計学的に証明しなければならない。
 この「統計学的な大規模調査によって効果が実証された医療を行う」という考え方が、EBM(evidence based medicine)というものだ。直訳すれば、「実証にもとづく医療」ということになる。

 実際の臨床現場では、すべての治療が科学的な根拠にもとづいて行われているわけではない。担当医のカンや治療方法が決められるケースは少なくないのである。こうした非科学的な医療習慣に、科学に裏付けられた合理性を与えようとするのがEBMという考え方である。そのために数千人から数万人という患者を対象とした疫学調査を行い、その結果で有用性が確認されれば、信用のおけるデータとなる。
 むろん、こうした大規模な調査を実施するためには膨大な金がかかる。調査の費用を薬価に反映できる医薬品でなければ、大規模な調査を行うことは不可能である。健康食品などでは、価格に調査費用を上乗せできない。

[自由診療で儲ける医者たち]
 いま実際にもうかっているのは、自由診療をしている美容整形のような診療科科目だ。納税ランキングのトップ100位に入ってくるのは、美容整形外科の医者たちである。最近ではアンチエイジングという視点から、若返りへの欲求が強くなり、美白、しわとり、など病気ではないことまで、医療が関わることになっている。
 美容整形は自由診療で、健康保険が使えない。国にとっても医療費抑制とは無縁の世界であるから、美容整形自体の仕事の範囲を制限することもできない。

「人間の欲望が医療費を押し上げる」といわれている。つまり、健康で長生きするために人間が最先端の医療を享受したいと思うなら、新しい医療機器での診断、最新の治療薬が欲しくなるのは当然であり、その欲望が医療費を押し上げると考えられる。

[医療が生き残るための方策]
①絶対的な健康を求めない
②本当に無駄な医療をやめる
  まだまだ無駄な医療が多い、風邪薬は効かないといわれているのに、多くの患者は風邪になっただけで医者にかかり、薬をもらいにくる。
③臨床医と研究者を明確にわける。
④医者の派遣、配置は第三者機関で決定する
⑤医学部教授選挙を第三者評価機関で行う。
⑥開業医の総量規制をする

 
□今日の読書 ★★★★★

医療格差の時代 (ちくま新書 (731)) Book 医療格差の時代 (ちくま新書 (731))

著者:米山 公啓
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